事故現場遭遇の意味 | 3年前のしこうの楽しみ

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二日連続で事故現場に遭遇しました。
一日目はいわゆる玉突き事故というもので、軽自動車の後ろの部分がべっこりと凹んでしまっていました。
二日目は柱に2tくらいのトラックがぶつかって斜めに倒れていました。

いつもだったら特に気にもかけないのですが、連日だったこともあり、何らかのメッセージ性があるのかもしれないと感じました。
もしかしたら、トラックの方の事故がなかなか起きえないような状況だったために、印象に残ってしまったのかもしれません。
単独事故でどうしてあのようになってしまったのか理解できないような光景でした。

そんなわけで、そのままメッセージを受け取るなら事故にあうという暗示になってしまいそうだったわけです。
もしくは、すでにぶつかっているととらえることもできるでしょう。
しかし、そういった可能性は否定できないものの、あまりしっくりくる感じはありませんでした。

そして、そもそも意味付けすること自体を疑問に感じました。
少なくとも内面における様々な概念の認識を変化させてきている流れにおいて、事象の表面的な部分からメッセージを読み解くことはナンセンスでしょう。
そこで、ひとまず現象自体は意味があるともないとも言えないフラットなもので、それをどういったとらえ方にするのかは自分の選択次第であるという立ち位置から眺めてみることにしました。

そうすると、あくまで自分は当事者ではなく知り合いの誰かが自分の理解できない理由でぶつかっているとか、単純に対象はなんだか分からないけど何かに当たっているということが思い起こされました。
それと共に、見た目はかなり車がダメージを受けている事故だったものの人には怪我などの影響がほとんど出ていないように見受けられたことを思い出しました。
そう考えると、自分の古い枠が壊れたことを事故という現象として見せることで印象付けるために、引きよっていったのかもしれません。

原因は特定できないものの、事象から得られるポジティブな要素に意識が向いたからでしょうか、このあたりで何となくスッキリした感覚がありました。
もしくは、今まで無意識的に反応的な意味付けをしてしまっていたのかもしれません。
より、現象をひいたところから俯瞰していきたいと思います。

谷 孝祐
2015.4.2 18:58