自分が囚われている枠組み | 3年前のしこうの楽しみ

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自由の本質にふれたことを受けて、今の自分やこれからの自分にとって変更すべきフレームを探すことにしました。
そして、ふと答えが浮かんできました。
この世というフレームに囚われている気がしたのです。

当たり前すぎて意識したこともありませんでしたが、確かにその枠組みに縛られていることは疑いの余地もありません。
正直なところ、肉体を持った人間であれば、その枠を超える必要は通常あり得ないのではないかとも思います。
そうはいっても、答えが出てきた以上は向き合ってみる価値があるでしょう。

ということで、まず自分がこの枠をどのようにとらえているのかを明確にしてみることにしました。
感覚的にこの枠組みに意識を合わせて、自分の内面的な反応を客観視しました。
このように表現すると難しいことのように映りますが、自分の住んでいる家全体に意識を合わせて自分がどう感じているのかをキャッチするというようなイメージの方法です。

すると、とてもこの枠組みを気に入っていることがわかりました。
思考レベルではよく分らない気分がありつつも、感覚的には好きなようです。
そして、これは少し意外な答えだと思いつつも、なぜそのように感じてるかを明確化することにしました。

それは、自分にとってこの世というフレームが何の意味をもっているのかということを顕在意識化させることでもあります。
早速そこに意識を向けると、限界があるから楽できるという感覚が出てきました。
時間や空間という枠組みの中では、自ずと限界がある程度決まってしまうため、それ以上何かをしなくて良いというようにとらえているようでした。

これは、同時にその限界以上の要求をされることはないという安心感につながっているかのようでもありました。
要するに、自分にとってはセーフティーネットのようなものだったわけです。
こんなことは今まで考えたことも感じたこともありませんでしたが、出生時に比較的ポジティブな気持ちでこの世に生まれてきた理由がわかった気がしたのでした。

谷 孝祐
2015.3.20 18:38