見え方を意識する配慮 | 3年前のしこうの楽しみ

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今回のスキーから受け取ったことはこれで完了のように思います。
それは基礎スキーの楽しみを感じられたことからの実感でした。
以前はそれに対してあまり面白い印象を持っていませんでしたが、今回はなぜだかその楽しみが理解できるようになったのでした。

昔はなぜ興味がわかなかったのかというと、自分にとってはとても縛られている分野にうつっていたためです。
自由な自然の中で教科書通りであることを追求することに、なんだか解せないような気がしていたのかもしれません。
好きな斜面を好きなように滑ることが自分にとってのスキーの楽しみであったため、いかにトレンドの形で綺麗に滑れるかという価値観は相入れないものだったのでした。

そういう意味では、以前はスキーを自由な感覚を得るための方法ととらえていたことがうかがえるわけです。
しかし、それがいつの間にかいらなくなっていたのでしょう。
スキーをしなくても同じくらい自由な感覚が持てるようになって、受け入れられなかった価値観もそこに投影することができるようになったのだと感じます。

そういう意味では、自分が自分の感じていたスキーの魅力から解放されたととらえられなくもないでしょう。
さて、その状態になって感じられた基礎スキーの良さは、そこで注意すべきことを意識することで得られる微細な感覚の違いとともに、安定した状態を見ている人に与えるということでした。
このどのように見えるかということは、自分にとって特に興味の対象外であったわけですが、ふとその意義が見出せたのでした。

要するにカッコ良く見えるように滑ることの意味が、自己価値を顕示すること以外にあることを理解できたということです。
それは見る人への配慮であるとともに、何らかの良い影響を与えうるということでした。
綺麗に滑ることは、本人の楽しみだけでなく良い意味で見る人を刺激するわけです。

そして、それが見た人の中で何らかの波紋を広げる可能性があるということです。
これは他の分野でも当てはまることだと思うので、様々な方向へ応用していこうと思います。

谷 孝祐
2015.3.13 14:21