序列の明確化の意義 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

覚醒スキー合宿にて、志賀高原から白馬へと移動しました。
志賀高原では、良質な温泉のある宿へのステイと、国内では他にないほどの広大なスキーエリアを楽しみました。
小さなスキー場から中規模のスキー場が18個くらい連なっていて、共通リフト券ですべてを滑ることができます。

そんなわけで、ツアー的に端から端まで堪能しました。
宿の温泉も緑色の一風変わったもので、清潔ながらひなびた感じの風情が心と体に染み入っていくかのようでした。
十数年ぶりに再訪した場所でしたが、前回よりもその良さを受け取れたように思います。

しかし、白馬にやってくると同じ長野県とは思えない印象です。
スキーにおける自分のホームとも言える場所だから感じ方が違うとも言えなくはありませんが、空気感が大きく異なる印象です。
良し悪しは個々の好みの問題ですが、この移動を通じて、個人的にはこのホームの地の良さをより深く感じ取れる結果となりました。

そこで、どういった部分が自分にとって重要なのかということを明確化しておこうと思いました。
そうすることで、当たり前になってしまって意識化されない部分も、よりちゃんと受け取れるように感じたためです。
その中で思い当たったのは、案外、国際的な雰囲気に自分は共鳴するのかもしれないということでした。

ここでの国際的という言葉は、オープンで分け隔てのない形で洗練されたというようなイメージです。
もちろん志賀高原にも外国人はそれなりにいましたが、白馬の方が明らかに多く、それが定着している感があります。
昔ながらの日本の風情やその土地の個性・伝統というものも大好きではありますが、それ以上にそういう場所では居心地の良さを感じられるようです。

というよりも、正確には、土地の個性が十分にオープンな方向へ生かされている場所が感覚に合うのかもしれません。
この気づきによって、好きな場所の中での序列が初めて認識できたのでした。
そして、こういった微妙な序列を良い意味でつけておくこと(否定感の全くない序列をつけること)は、自己認識の正確性を高める上で有効だと思ったのでした。

谷 孝祐
2015.3.3 19:19