感覚と思考の協和状態へ | 3年前のしこうの楽しみ

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最近ふと気づいたことがありました。
それは、自分が感覚的な人間だということです。
何を今更という感も否めませんが、今まではそこまで明確な自己認識を持ってはいませんでした。

感覚は重要視する要素ではあるものの、もちろん思考も大切にしているわけで、どちらかというと両者のバランスを重んじている傾向があるようにとらえていたのかもしれません。
これが分かると、ずいぶんいい加減な状態だったようにも思います。
思考のベースに感覚があることは確かだったわけで、それは自覚していたことでもありましたが、重要度としては並列なイメージでした。

しかし、よく考えれば感覚が自分を動かす一番の基礎であるならば、そういったイメージは間違っているわけです。
結果的に誤った自己理解に陥っていたわけです。
そんなわけで、なぜそんなズレが生じてしまっていたのか検証してみることにしました。

思い返せば幼少期から一度も感覚を重視したという認識がありません。
おそらく当たり前すぎて顕在化されなかったのでしょう。
小さな頃に本当に感覚がベースになっていたかは確証を得られないところではありますが、学校の勉強において感覚をベースに理解していたような記憶があります。

そして、意識せぬまま磨かれたのかもしれません。
そのように考えると、思考は成長過程において意識的に身につけたということが推測できます。
中学生くらいの頃には、適切な思考をトレーニングしようと努力していたように記憶しています。

もしかしたら、無意識的・潜在的には感覚の精度が、意図的・顕在的には思考力が、並列的に成長してきていていたがために重要度が比較されることがなく、曖昧な状態になっていたのかもしれません。
しかし、例えば、現在でも論理構築の正当性は感覚的に判断したのちに、思考レベルで検証するという順番で行っていることから、感覚処理が先にきていることは明らかです。
この自分の構造を理解した上で、感覚を整理するために思考が協調しているという自己認識を持つことが妥当なように思います。

そうすると、感覚と思考がより良いハーモニーを奏でてくれるかもしれません。
そのために、まずこの認識を腑に落としていきたいと思います。

谷孝祐
2014.12.28 1:46