投影というサングラス | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

投影が期待を生み出す構造を作ってしまうという気づきから、そもそも投影とは何なのかという方向へ意識のピントが合いました。
投影が事実の認識を歪めるということから、それを減らすような努力はしてきたわけですが、そもそもそれがどんなものなのかを深いレベルまで考えたことがなかったわけです。
つまり、表面的なメカニズムだけをとらえてあれこれ改善しようとしていたわけで、なぜそのメカニズムが起こるのかという原因までは分かっていない状態だったということです。

それでは根本解決に向かえないのは仕方のないことでしょう。
どちらかというと、投影は万人共通のメカニズムでそれが起きないように注意することはできても、そもそも全く起きない状態になることは不可能だと思ってしまっていたわけです。
そうやって投影の本質を見抜く方向へ意識がいかなかったのかもしれません。

それはどこか投影していたい自分がいたことを意味するでしょう。
これに気づいて、そうであるなら投影することも何らかのメリットがあるからこそ起きるのだという発想になりました。
投影によって得られる心理的な効用があるということです。

そこで真っ先に思い浮かんだ要素は、安心感を得られるという性質でした。
それはまやかしの可能性が高いものではありますが、相手が自分と同じであるという幻想が崩れるまでは、持続的効果を発揮します。
結果的に過度に不安を生み出さなくて済むように働くでしょう。

また、関わる人すべてに対して自分との違いを認識しておくことは、かなりの手間であり、無駄なことかもしれません。
投影することでその不要な作業が省けるでしょう。
こうして、投影がなかなか有用なものなのだという気分になりました。

そして、そうであるならうまいこと使えば良という考え方もできます。
サングラスを必要に応じてかけたりはずしたりするように、違いを認識している余裕がない時や心理的に安心感を必要としている時だけ投影したり、悪影響がありそうな時にはずしたりするイメージです。
こうなれば、投影に対して自分が主体であることができるでしょう。

これは投影の根本改善にはいたりませんが、それに近づく必要なステップかもしれません。
ひとまずトレーニングしてみようと思います。

谷孝祐
2014.12.12 9:53