中央アジアのコットンフィールド | 3年前のしこうの楽しみ

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ウズベキスタンやトゥルクメニスタンの国内を車で走っていると、あちらこちらで綿花の栽培がされていることが実感できます。
そして、時折大勢で収穫している姿も見かけます。
もちろん、その近くに綿を集める場所があったり、綿をトラックで運んでいる様子を見ることもありました。

そんなに大きくないトラックでも2tほどの量になるとのことでした。
多い場所では年に5回くらい収穫があるそうです。
そんな車窓を眺めていてふと感じたことがありました。

コットンといえば身近な素材ではありますが、それがどこで作られているか明確に認識していなかったということです。
そこから発展して、自分が身につけているものの本当の起源がどこにあるのかを知ることは難しいということを思いました。
多くの場合、簡単に知れるのはせいぜいどの国で作られたかという程度が限界でしょう。

服であるなら、縫製前の生地がどこで作られて、生地になる糸がどこで作られて、その糸の原料がどこで作られたのか、調べることすらできないかもしれません。
また、どうやって収穫されたか、どうやって運ばれたか、どうやって取り引きされたか、そしてどれだけの人が関わったのか、ということもなかなか分からないでしょう。
つまり、自分の着ているものが自分に届くまでのプロセスの氷山の一角しか知らないわけです。

これについて個人的には肯定的でも否定的でもありませんが、この事実を知るということは重要なように思いました。
服に限らず、自分の物と思っている物のことはほとんど知らないわけです。
多くの場合、扱い方を知っている程度のように思います。

もしかしたら、それすら不十分なものもあるかもしれません。
だからこそいい加減に扱ってしまうこともあるのかもしれませんが、だからこそ大切に扱う必要があるようにも感じます。
これは、世界の分業化が進んで豊かになったことを表している事象でもあり、自分の生活が想像以上の土地や人に支えられていることを意味するでしょう。

広大な綿花の畑は、そんなことを感じさせてくれたのでした。

谷孝祐
2014.9.25 10:33