問題受容への問題 | 3年前のしこうの楽しみ

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変化と問題へのとらえ方が変わって、それを自分に定着させようと試みていると、その足を引っ張る要素が浮き彫りになりました。
それは、問題へのとらえ方が観念的に残っているということでした。
感覚的には変化も問題も受容できている状態なのですが、それに対して頭が違った方向を示しています。

それは、変化については観念的にも需要できているのですが、問題に対しては否定的な見解が残っていたということです。
それによって問題に対するとらえ方の分離が自分の中に生まれてしまっていました。
そして、このつっかかりを取ろうと試みました。

問題への否定的な固定観念を解消しようとしたわけです。
まず、なぜ問題が否定的なものと思っているのか探ってみました。
感覚はクリアなので何も上がってくるものはありません。

探り方を間違えたと思いつつ、思考に意識を向けると「労苦」という言葉が思い浮かびました。
その言葉は今や感覚と結びついていないために、表面化すると滑稽な言葉のように思えました。
労苦という言葉の意味が感覚に支えられていないため、意味をなさなくなっていたのです。

それとともに否定的に思えていた固定観念が否定的ではないように変化していきました。
例えば、「面倒」とか「辛い」とかという言葉も「労苦」という言葉と同じように滑稽に思えて、違いが分からなくなっていきました。
それらが否定的なのか肯定的なのかどちらでもないのか、瞬時に判断できなくなったのです。

そして、問題に対して否定的であること自体が虚構にみえてきたのです。
否定的観念を支える否定的感覚がないので事実虚構であり、それについて思考レベルでも認識したわけです。
すると、なぜわざわざ問題に対して否定的な意味付けをしていたのかが自分自身で理解できなくなりました。

もちろん過去に問題に対してそれらの感覚がつきまとっていたために、そう記憶されて紐づいてしまっていたのでしょう。
最終的に、問題はあってしかるべきという感覚に帰結し、思考もそれに同意しているようでした。

こうして感覚と思考の整合性が取れたようでした。

谷孝祐
2014.8.30 17:39