分けることの意義 | 3年前のしこうの楽しみ

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なぜ物理的なものが変化しにくいと固定観念化してしまっていたのか、解決に向けてさらに掘り下げてみました。
変化が起きる時の変化のスピードという観点でとらえるならば、これは確かな事実です。
自然な変化という範囲でいうならば、物理的なものが変わるのにはある程度の時間がかかるでしょう。

例えば、怪我が治るのには一定の時間が必要です。
それに比べたら、心をはじめとする時間や空間に縛られないものの変化は一瞬にして完了するのです。
少なくとも個人的な実感としては一瞬です。

何かの気づきをきっかけに、とらえ方や感じ方が一瞬にして変わったという体験をしたことがある人もいることでしょう。
しかし、今までどこかこの違いを認識しつつも認めていなかったのかもしれません。
物理的な変化も一瞬にして完了する方法があるのではないかという期待があったのです。

つまり、これらの領域の違いを完全には分けてとらえられていなかったことになります。
物理的でない世界観の論理が物理的な世界観に適用できる道があるように感じていたわけです。
そして実際に存在しなくはないという条件がその期待を固定化させていたのかもしれません。

一切触らずにあっという間に物を動かしたり、その場ですぐに癌を治したり、宝くじが当たったかのように瞬く間にお金が入ってきたり、といったような夢のような方法もあるようです。
しかし、それらの弊害とリスクや必要な力の量を考えるとあまり興味がわくものでもありません。
そこで自己の内面に潜むアンバランスなポイントに気づきました。

興味がないのに期待しているのです。
もちろん他の安全な方法があることに期待するわけですが、論理的にあるとも考えられないわけです。
わざわざ念動で動かすよりも道具を使って動かす方が楽でしょう。

古代と違い、現代であれば十分な道具が揃っています。
道具が不適切なら道具を生み出すことも可能でしょう。
それぞれの世界の論理を的確にとらえて別の世界としてとらえ、それぞれに合った方法を適用していくことが、結果的に統合への近道なように思ったのでした。

そして、ふと、投影することなく別のものを別のものと理解することが、本質的世界平和にとっても意義のあることのように感じました。
この実感は、世界で起きていることが自分と本当の意味で無縁でないことを腑に落とさせたのでした。

谷孝祐
2014.7.26 18:44