祈りの第九 | 3年前のしこうの楽しみ

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個人的には第九にもベートーヴェンにも聞こえない第九の演奏だったわけですが、どのように聞こえていたのかというと祈りを捧げている曲かのようだったのです。
とにかく不思議だったのがリズム感を感じないにも関わらずリズムが合っていたのです。

リズムは躍動感や立体感を生み出しますが、それが廃された状況でした。
通常そうなるとタイミングを合わせるのが困難になるのですが、完璧に近い状態で合っていたのです。

どうやって合わせているのか気になって事細かに聞いてみると、パーツとしての音のサイズが揃っていて歪みが少なく、それによって間合いが取れるようになっている感じがしました。
パーツとしての音が均等であるがゆえに立体感が生まれず、淡々と音楽が進んでいく印象になっていることが分かりました。

合わせるのではなく、合うことが当然かのようでした。
結果的に平坦な音楽となり、ある意味でベートーヴェンも宗教音楽の延長線上にあることが実感できました。
ただ、演奏者が日本人だからなのか、キリスト教的ではなく神道的に聞こえたのでした。

そういう意味で日本でしかできない第九のように思えたのでした。
奏者は音楽家ではなく神に捧げし音を扱う者であり、個性を出すべきではない印象でした。
個々の表現として音が出てくるのではなく、その瞬間にそこにあるべき音が出てくるという感じでした。

それは、もともとその場でその時間に鳴っているべき音が決まっていて、その決められた通りに音が並んでいくというイメージです。
あるべきものがあるべき場所にあるだけという価値観です。
もちろんほぼ同じメンバーで何度も演奏しているからこそ為せる技でしょう。

しかし、そのデフォルメのなさに引き込まれるでも覆いかぶさられるわけでもなく、距離感の変わらないまま自分が共鳴しているような気がしたのでした。
オーケストラの演奏がそんな感じなので、ヨーロッパで活躍しているようなソリストたちは、主張が強く場を壊しているようにすら見えてしまいました。

クラシック音楽と言えども、日本文化を深く踏襲し和製のものとしていることを生まれて初めて感じたのでした。

2013.12.27 23:56 谷孝祐