覚醒の第二十歩 | 3年前のしこうの楽しみ

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物事をありのままにみようと思った時に、不要な反応を減らしておくことは前提条件です。
なぜなら、不要な反応が起きてしまったら、その時点で目の前に起きていることは正確にはとらえられなくなるためです。

そのために、まず反応が起きにくい状態を作っていくことは非常に意義のあることです。
しかし、反応が少なくなれば、それだけで正しくとらえられるかというとそうでもありません。

なぜならば、反応がある状態でのとらえ方の癖は残ってしまうためです。
そのため、ある程度反応が減ったら、物事の裏の裏までみようという意識でみてみます。

裏の裏とは厳密な意味ではなく、あくまで感覚的にそこまでみようという意図をしてみるということです。
面白いことに、ファーストインプレッションと裏の裏までみようとした時では、同じ状況が違ってみえることがあります。

トレーニングされていない限り、ファーストインプレッションは主観的なものです。
そこで、裏の裏までみようとすると客観性が高まり、とらえられるものが変わってくるのです。

だからといって、主観的な見方よりも客観的な見方が優れているとは限りません。
それは、客観的な見方では情報の漏れが生じる、つまりブラインドになる部分が生まれることもあるためです。

また、どのような価値判断をするかによっても適切な見方は変わってきます。
主観的な見方は主体にとって重要であり、客観的な見方はもっと広い範囲において重要です。
主観的になりすぎると近視眼的になりがちですが、客観的になりすぎると打算的になりがちです。

つまり、多くの場合、主観にも客観にも寄り過ぎないくらいが適切である場合が多いということです。
そして、理想はこのどちらも包含する見え方です。

それは、主観的にも客観的にも矛盾しない、両者が同調している場所です。
ここがありのままに物事をとらえられる場所です。

いきなりそこに向かうのは難しいですが、経験を積めば、いつの間にかできてくるでしょう。
オマケですが、裏の裏までみようとするこの方法、反応が出た時も、反応から離れる手段として使えるでしょう。

2013.7.15 00:54 谷孝祐