人生をより豊かにするために好きなことをするのが良いという話がありますが、好きなこととは一体どういう性質のものなのでしょうか。
もちろん個人的にはこの話には同意しますが、的確にとらえることは案外簡単ではないのかもしれません。
それは、主観における好きなことは性質的に個人差があるためです。
主観と対応しやすい言葉の場合、そこに入り込む様々な要素があるため、連想されるものが本当の好きなことであるとは限りません。
つまり、好きなことと思い込んでいたり、好きなことと思わされていたり、好きなことにしようとしていたり、好きなことと思い込みたかったり、などという可能性があるということです。
もちろんそうであっても好きなことである場合もありますが、大抵は違うかのかもしれません。
もしかしたら、好きは嫌いの裏返しで、嫌いなことである可能性もあります。
なぜそんなことになってしまうのかというと、成長過程において主観的に好きなことを認識する練習をしてきていないためです。
そして、多くの人は、どうすべきかということを状況から把握する訓練をたくさんしてきているため、これが混ざってしまうのです。
そのため、好きなことといっても打算的な要素が入り込んだものを選択しようとしたり、承認されそうなものを選ぼうとしたり、感じたくないものを感じないで済むものしか選択肢として持たなかったり、ということが起きてきます。
もちろん、状況判断ができることは悪いことではなく、むしろ非常に重要です。
しかし、主観的に好きなことをキャッチするのに長けていない場合、それは弊害にもなるということです。
理想は、主観的に好きなことをキャッチできている上での状況判断ができることですが、この二つは別の能力なように思います。
とはいえ、余分な影響を排除してキャッチしようとすることは難しいでしょう。
では、どうしたら良いのか。
日常生活における選択の場面で、まず好きなものを認識してから状況に応じて最終決定をするという、二段階での選択を習慣化することが案外有効な方法のように思います。
これによって、反応的な思考や決断を幾分減らすことができます。
好きなものの認識が合っているかどうかは問題ではなく、まず形を習慣とすることです。
習慣になってくると、好きなものに意識が向きやすくなることでしょう。
2013.1.10 12:45 谷孝祐