本当に貢献することは案外難しい。
どうしても表面的な、見せかけの、観念的な貢献になりやすいからだ。
もちろんそれが悪いというわけではないが、もし本当の貢献をしたいのなら、自分を見つめることは重要だ。
貢献したいということは、貢献する対象に対して、何らかの変化をもたらしたいということが多いと思う。
または、維持に貢献するということもあるだろう。
どちらにせよ、重要なのは、その対象を潜在意識全てから好きかどうかではないだろうか。
好きだから、対象に対してプラスに働くよう、維持が必要なら維持に、変化が必要なら変化に、シンプルにエネルギーがさけるのではないだろうか。
もし、このシンプルさが足りないとしたら、その貢献したいという想いには何か自分の欲求が混ざっているかもしれない。
例えば、そこに自己価値を見出すとか、対象をコントロールしたいとか、自分を重要だと思いたいとか、何かを感じないためとか、自己有用感を得たいとか、対象を好きと思いたいとか、安全を得たいとか、有利な立場にいたいとか、見られたくない自分を隠したいとか、何かから逃れたいとか、許しを得たいとか、、、お金が欲しいとか、、
それは様々だろう。
しかし、そういったものがあること自体が問題なのではない。
むしろあることの方が自然かもしれない。
だからこそ、貢献したいという聞こえの良い傘をかぶせて、満たそうとしてしまうのだろう。
しかし、その複雑な構造の中では、エネルギーが分散し、得たいものも得られず、貢献もできずという状況にはまりがちのように見受けられる。
だったら、欲求は欲求として感じ取り、認めた上で行動することで、現実のものになりやすく、それを繰り返すことでクリアになっていくことだろう。
そうすると本当の貢献も近づいてくるように思う。
近づいた結果、貢献したいという想いが幻想だったいう場合もあるが、、、
2012.6.30 23:25 谷孝祐