中国が半強制的にこの法律を成立させたことは記憶に新しい。これによって香港の一国二制度は瓦解し、完全に中国の一部と化す道筋ができてしまった。かの鄧小平は、文革により瀕死の状態だった中国経済を立て直すべく改革開放路線へと大きく舵を切ったが、その実現にはどうしても香港の経済力、つまり外貨獲得力が必要だった。そのため時の統治国イギリスの首相サッチャーの要求をほとんど飲む形で中国への返還を実現した。それは鄧小平が掲げた社会主義資本経済という共産党による一党独裁政権の下、資本主義経済を根付かせるというビジョンと重なるもので、それを50年という時間をかけて成就させようとするものだった。しかしわずか30年足らずで中国はアメリカに次ぐ経済大国にのし上がり、今や経済、軍事において世界中に強大な影響力を持つに至った。もはや香港を二制度体制の下優遇する必要がなくなったのだ。そこで登場したのがこの『国家安全維持法』なるものだが、これはいわゆる中国政府、共産党を批判、中傷するものを罰する法律で、つまり民主主義の根幹である言論の自由を脅かすものである。しかしここで注視しなければならないのはその中にある、政権への批判、中傷した者を密告すれば、その者が犯した刑を軽くするという一文だ。これは極めて重要なことで、欧米での裁判の中で用いられる所謂司法取引とは全く種を異にするもので、あのナチスが擁したゲシュタポや旧東ドイツの秘密警察シュタージ、近年では北朝鮮の国家保安局等が行っている密告者を優遇する制度に発展しかねない、まさに恐怖政治の入り口である。今現在も多くのSNSを締め出し、集会は弾圧され、政権への批判投稿は徹底的に削除、さらには監視、連行されることも当たり前の中国社会で、今後この密告によるさらなる言論や情報統制が進むことは間違いないだろう。

 子供が小遣い欲しさに親を売るような凍った社会を望むものは誰もいない。