こんにちは、暇人たにやんです。
春の一般公開で京都にある新島旧邸に行って来ました。
新島旧邸は、京都・御所の東隣の寺町通に面したところにあります。
もともとこの敷地は、京都大工頭の中井家の屋敷で、その後、堂上華族の高松保実(たかまつやすざね)の所有であったものでした。
その後、1875年(明治8年)11月に同志社大学の祖である新島襄がここに同志社英学校を開設し、生徒8名でスタートしました。
新島旧艇の外観はコロニアル様式を取り入れていますが、中は、日本式と西洋式のそれぞれ良いところを取り入れた機能性のある建物なっています。
トイレは板張りですが、腰掛で使用できる様式トイレですし、1階の応接間には、鉄板を使った簡単な暖炉があります。
1、2階の各部屋を暖めることができるセントラヒーティング形式ですね。
さらに面白いのは台所です。
当時の民家は一般的には土間ですが、ここでは床板の上にかまどと流しを備えたセントラルキチンです。
寝室の部屋は今は畳敷きですが、当時は全面板敷きにベットが置かれていました。
新島襄の妻の八重は1932年に86歳で亡くなりましたが、会津藩の山本覚馬の妹で生まれてから新島襄との結婚後も波瀾万丈の人生を送った人です。
それは大変な人生だったと思いますが、その反面、そのハプニングやスリルを結構楽しんだのではないかとこの旧邸を見てふっと感じてしまいました。