モロッコのタンジェ(Tangier)は、旅行・滞在も含めると3年半も住んでいたことになります。特に、ビザの関係で約3ヶ月ごとに主にスペインと出入国を繰り返していた3年間は、完全に『生活』という立ち位置で過ごしていました。

その中で、まぁ人間なんで日本もモロッコも衣食住に対しての思いや感覚は大きく違ったりはしなかったし、英語だけじゃなくスペイン語やフランス語、最後のほうではアラビア語すらもだいたいの意味を推測できるくらいにまでなっていたこともあり、大きなホームシック、ジャパンシックというのはそんなになかったと思います。

むしろ、自分でもびっくりすることが2つばかしあって、そっちのほうが今の日本での生活スタイルにも密接に繋がっているので、その点を書いてみます。


その1~料理するようになった!
東京生活の間は単純に「後始末がめんどくさそ~」という感覚だけで敬遠していた料理。たぶん「自炊」という貧乏臭い響きが嫌だったのと、スーパーなんかに行ってもトキメキがなかったこともあったのでしょう。まったくといっていいほど、やりませんでした。トーストにマーガリンを塗る程度で、なんか料理やったぞ~みたいな気分でいましたもん。
モロッコで暮らしだして、収入のアテがないわけなので、当然節約しなくちゃとようやく気づき、それまで足を踏み入れたことのなかったスーク(生鮮市場)に行ってみました。

すると!

なんなんだろう、この楽しさは?
自然に気分がワクワク、トキメキだしたではないですか!
その理由はすぐにわかりました。市場にうずたかく積み上げられた野菜や果物たちの肌つやでしたね!
大きさは不揃いで不格好なのに、ものすごく活きがいい!
見ただけで美味そう!
そんな刺激は、日本の、東京のスーパーでは今もってお目にかかったことがありません。まるで観賞用かなにかと勘違いしたかのような綺麗綺麗な野菜や果物...
そんな興奮も手伝って、気がついたらトマトを3kg、芋を2kg、オレンジを5kg...買い込んでしまうことがざらではなくなりました。ずいぶんデカイな~と思ってた冷蔵庫が、まるで朝の山手線みたいに混み合ってしまったし!
野菜たちはまた、生で食べるとこれがまたすこぶる甘かった!
東京のスーパーの野菜の無味乾燥なこと、ありゃ詐欺ですよ、金返せって言いたくなりましたもん。


その2~工夫
消費文化にどっぷり浸ってたときには、今から思うとずいぶんムダに買い、捨てていたんだな~という反省しか浮かんできません。
そして、1アイテム1用途って洗脳でもって、いろんなグッズをムダに増やしていたようです。
モロッコでできた友人の家にお邪魔したときに、そのことを痛感しました。
......

あぃや~この先、ちょっと長くなりそうなので、また続編ということにします。
タイムリミットなりぃ。
大きく、こんな感じだったと思う。

☆満足に歩けもしないのに、走り出そうともがいてた。
 " I couldn't walk but tried to run"(John Lennon)

☆まだ知合ってもいない人に向かって「サヨナラ」って言ってた。
 "We say goodbye before we say hello"(Rick Wright)

☆見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくっていた(真島昌利)

でも、これは若い自分には誰にでも思い当たる気分じゃないんだろうか?
日本のアンダルシアといえば、九州。
その九州の軽井沢といえば、我が五ヶ瀬。
その五ヶ瀬からこんにちは。

約1ヶ月ぶりの更新です。


ぼくの住む五ヶ瀬は標高650m。わかりやすく言うとスカイツリーのてっぺんくらいの高さに町があります。九州でありながら夏は涼しく、日本最南端のスキー場があるくらい冬は雪で埋もれます。
隣町はパワースポットで脚光を浴びる神話のふるさと高千穂です。

東京の荻窪に住んでいたころには、雨じゃない朝は、電気釜にスイッチを入れると部屋を飛び出し、石神井公園または井の頭公園までの往復を走っては、健康と体力維持に努めていたものでした。
ときどきはジムなんかも使ったりしましたが、ぼくは体育館が嫌いなので、どこか落ち着いて運動に専念できなかったものです。


ジムでやるのをエクササイズとするならば、今の朝の運動はまさにエコササイズと呼んでもいいんじゃないかと思い、ちょっと紹介します。


まず、空の2ℓペットボトルを持ち、携帯の歩数計をセットしてスタート。
1回の目標がだいたい1万歩です。

目の前は棚田や樹林、ときどき家屋が目に入る典型的な田園風景。そこをひたすら歩きます。
1~2分に1台、農作業に向かう軽トラとすれ違ったり追い越されたりしながら、センターラインもない舗装された山道を歩きます。

先日は鹿に遭遇。ぼくの姿を認めると軽やかに逃げていきました。

やがて鳥居が見えてきます。ここが折り返し地点です。神社には環境省から名水100選に選ばれた湧水があります。ここで喉を潤し、持ってきたペットボトルに水を詰めます。

すると、空のボトルが2kgの鉄アレイならぬ水アレイに変貌しちゃうんです。

帰りは、上腕筋を鍛えながら、もときた道を若干変えながら自宅に戻ります。なぜかというと、素直に歩くと1万歩に届かないから。

そろそろ近所のガキ...いやさ小学生中学生たちが登校しています。「おはようございます」「おかようございます」
たとえ顔を知らなくても、挨拶をするのはここ五ヶ瀬の習慣です。とってもすがすがしい習慣だと思います。

そして、携帯が「パッパカパ~♪」とチープなファンファーレで、1万歩突破を教えてくれます。

家に戻り、汲んできた水はすぐにガラス瓶に移します。こうすることで、鮮度が保たれるのです。
汗を拭い、その水でお茶を淹れ、トーストとフルーツで朝ご飯。


という流れで、我がエコササイズは終了します。
やっぱり朝の運動は頭をクリアーにするし、なにかいいことがおこりそうなウキウキ感まで呼び覚ましてくれます。
しかも、ジムで黙々といったネガティブなイメージもないし、だいいちお金がかからない。ジムに費やしていたような出費は、今なら義援金にまわすことができるので、一石多鳥です。


もしも家の周りにそうした自然と湧水があるならば、やってみることをお勧めしますよ。


さて、そんなわけで、日曜日に決行する『旅ガール』がテーマのモデルちゃんとの撮影ツアーのロケハン準備にかかります~☆


ではでは♪

読んでくれた人、どうもありがとう!

九州の軽井沢、宮崎は五ヶ瀬からおはようです!

今朝は、ちょっとしたエクササイズをして気分爽快です。風がやや肌寒いくらいに乾いて心地よくて快適です。

明日の6時過ぎに出発し、フォトジェニックなルートをドライブして、まずは筑紫野市へ。
ここでひとりの女性と落ち合い、初顔合わせ&撮影ミーティング。
いいフィーリングを共有できるといいなって思いがあります。

そのあとは31号線で福岡市内へ、20日は全品3%オフとなるリカーショップでいろいろ買い物。1.5万~2万は使うんじゃなかろうか。車あればこそのショッピングです。

ホテルに荷物と車を置いたら天神へ。九州日仏学館でExposicionを観たのち、5時過ぎから1パイントのビールを求めていきつけのMorris@大名へ。ここのテラスがまた快適。夕陽がバッチリという都心なのに贅沢なロケーションです。外国人の多く集まるブリティッシュパブなので、多国籍な様相が夜が深まるにつれて盛り上がります。ひとりで行ってもかならず友達ができる、そんな素敵なところは、なかなかありません。

2日目以降は、撮影にパーティにミーティングに糸島エクスカーションに、楽しもうと思います。
最近、3~4時に目が覚めてしまいます。
今朝もそうだったので、ふっと思い立ってスライド映写機を取り出して、まだ愛機がNikon FE2だったころに撮りまくったスライド写真を写しだしたら、当時の記憶が一気に甦ってきたのでした。
最も多く旅をし、生活をし、写真にも収めたMorocco写真を見たこともあり、日記第2弾をアップします。(1)とは話がつながっていないかもしれません。ご了承ください。


最初に降り立ったMohammed V空港。
成田出発が確か6時間遅れ、トランジットのモスクワで4時間遅れたので、着いたのは午後11時あたりで、入国審査も街に向かう最終列車にあわせてくれたのか、表紙と顔写真を一瞥しただけの簡単なものだったと思います。
あとから、これは日本に対する絶大な信頼感であったことを知ることにはなりますが、この時はとにかく、見知らぬ国の見知らぬ土地、暗がりをバックパックしょって歩くのなんてまっぴら、早く横になりたい、その一念だけでした。

そこから1晩後の夜行バスで一路、モロッコ最北の街、そのときの第一目的地のTnagierに向かいました。Casablancaには特筆すべき観光地もエピソードも...あ、あるけどそれはまたいずれ。

バス到着は、フェリーポートのゲート脇。
朝の5~6時くらいだったと思います。
12月の朝5~6時は日が一番短くて真っ暗、なのに人でごったがえしていました。ドアが開くや、中の人は我先に外に出ようとするし、外の人は早く家族や友人に会いたいと乗り込んでくるし、たちまちパニックになってしまい、後部の連中は窓から脱出する始末でした。
真ん中あたりだったぼくは、とにかく前の騒動が収まるまで、ひたすら席でじっとしていました。人が去れば、待ち人の中に潜む、海外のガイドブックでは『Hustler』、日本のガイドブックでは『自称ガイド』と呼ばれる、悪名高い招かれざるモロッコ人にひっかからないだろうという計算もあったのです。

しかし、連中はそんなぼくの計算をとっくに見透かしていました。
きっと長年の経験値もあったのでしょう。
最後になって出てきたぼくをそれこそワッと取り囲み、ギャーギャー「ホテル!」「タクシー」と、自分のひいきにしてるホテルへの呼び込みを開始したのです。
日本でも観光地に着くと、よく客引きや白タクがいたりしますが、あれの熱狂必死バージョンとイメージしてください。

正直、バスの道中約8時間はウトウト程度しかしてなく、成田以来の疲労と睡魔も蓄積していたので、頭は完全に朦朧としていて、今から思えばあのときはどんな詐欺だろうと、簡単にひっかかってもいかしくない精神状態だったと思います。逆を返せば、全員が同じくらいのボリュームで声かけ続けるのであれば、all or nothing 全部を振り切ることができたと、今でも思います。

「ジャポン! どこに行く? 10dhで連れてってやる」

その声がストレートに耳に届き、ぼくはまんまと罠にひっかかりました。
あらかじめ調べていたホテルの名前を告げると、タクシーの運転手らしきその男は表情一つ変えず「乗れ」とだけ首で答え、最初に10dh紙幣を受け取ると、エンジンをふかしました。

*10dhは当時のレートで100円。日本だと100均商品くらいの買い物しかできないけれど、あっちの価格だとバレンシアオレンジが5kg買えます。

動き出すタクシーの車窓。さ~て、どこまでドライブできるのかな」
と半分夢心地になりかけてすぐ、タクシーは停車しました。ものの200mも走っていませんが、運転手は降りて「ここだ」とばかりに指差します。確かにそこには『Hotel majestic』の看板が...
乗車した地点は、全然遠くありません。
しまった、はかられた!とは思ったものの、男の出した値段に首を縦にふったのは間違いなくぼく自身。今さら「返せ!」とは言えません。それになにより、早く眠りに就きたかった。
去り際、さっきまで無表情そのものだった運転手の口元が、ものすごく緩んでいるのを目撃したので、要するにそういうことだったわけです。

ホテルのレセプションには誰もおらず、呼び鈴がおかれていました。
目をこすりながら初老の男が顔を出し、指を6本出します。60dhという意味です。
ガイドブックでは50dhとありましたが、背後の料金表では60dhでした。
すぐにエントリーシートに名前やパスポートNo.を記入。鍵をあずかり通された部屋に荷物を投げ出すと、ぼくは倒れ込みました。
シートは冷たく、ちょっと黴臭かったけれど、張りつめたテンションが一気に緩んだこともあり、そんなの関係ねぇとばかりに、深い深い眠りに突入したのでした。


to be continued.