前回、

「自分を愛するということ」

について書きました。

 

どんな自分が現れても、

自分を置いていかない。

 

自分の味方でいる。

 

私は、そこから愛が始まるのだと思っています。

 

でも、

 

自分を愛することを少しずつ覚えていくと、

 

次にもっと難しい問いが現れます。

 

「では、人を愛するとはどういうことなのだろう。」

 

 


 

優しい人を愛すること。

自分を大切にしてくれる人を愛すること。

自分を理解してくれる人を愛すること。

 

それは、それほど難しいことではありません。

 

難しいのは、

 

自分を理解してくれない人。

自分を否定する人。

 

そして、

 

自分を傷つけた人です。

 


 

私自身、

幼い頃、母親から虐待を受けて育ちました。

 

長い間、

その傷を抱えて生きてきました。

 

だから、

 

「すべてを許しましょう。」

「親にも事情があったのだから。」

 

そんな言葉を簡単に言うことはできません。

 

傷つけられた側には、

傷つけられた側の痛みがあります。

 

その痛みを飛び越えて、

無理に誰かを許そうとする必要はないと、

私は思っています。

 


 

愛することと、

許すことは、

必ずしも同じではありません。

 

まして、

我慢することは愛ではありません。

 

自分を傷つけ続ける人から離れる。

 

「それ以上はやめてください。」

と伝える。

 

時には、

二度と会わないという選択をする。

 

それも、

自分を愛するために必要なことがあります。

 

NOと言うことも、愛なのです。

 


 

では、

それでも「人を愛する」とは、

どういうことなのでしょう。

 

私は最近、

 

愛とは、

 

相手の行動をすべて肯定することではなく、

 

その人の存在と、その人の行動を分けて見ること

 

なのではないかと思っています。

 


 

誰かが怒っている。

誰かが人を傷つける。

誰かが攻撃する。

 

もちろん、

その行動には責任があります。

 

傷つけていい理由にはなりません。

 

でも、

その人の内側まで見ていくと、

 

もしかすると、

そこにも傷ついた小さな子どもがいるのかもしれません。

 

怖かった子。

愛されたかった子。

認めてもらいたかった子。

自分を守る方法を、

それしか知らなかった子。

 


 

そう考えられるようになった時、

 

私の中で少しずつ、

人を見る目が変わってきました。

 

「あの人は嫌な人だ。」

から、

 

「あの人は、なぜあんなにも自分を守らなければならないのだろう。」

へ。

 

「あの人は怒りっぽい。」

から、

 

「あの怒りの奥には、何があるのだろう。」

へ。

 

もちろん、

だからといって近づく必要はありません。

 

許す必要もありません。

 

ただ、

 

憎しみの中に住み続けなくてもいい。

 

そう思えるようになったのです。

 


 

これは、

私にとってとても大きな違いでした。

 

相手を許すためではありません。

 

自分自身を、

過去から自由にするためです。

 


 

私たちは、

一人ひとり違う人生を歩いています。

 

違う家庭に生まれ、

違う経験をし、

違う傷を抱え、

違う鎧を着ています。

 

だから、

理解できない人がいて当然です。

 

価値観が合わない人もいる。

 

一緒にいられない人もいる。

 

それでいい。

 

愛とは、

すべての人と仲良くすることではありません。

 


 

でも、

自分とはまったく違う人を見た時、

 

「この人もまた、自分と同じように、

何かを恐れ、

何かを求め、

愛されたかった一人の人間なのかもしれない。」

 

そう思える瞬間があります。

 

その瞬間、

自分と相手の間にあった壁が、

ほんの少しだけ薄くなるように感じます。

 


 

そして、

ここで不思議なことに気づきます。

 

私たちは、

愛されたいと思って生きてきました。

 

親から。

パートナーから。

友人から。

社会から。

 

誰かから愛されることを、

ずっと求めてきました。

 

でも、

 

自分を愛することを覚え、

人を愛することを学んでいくうちに、

 

問いそのものが変わっていきます。

 

「誰が私を愛してくれるのだろう。」

から、

「私は、どう愛して生きたいのだろう。」

へ。

 


 

愛されることを待つ人生から、

愛することを選ぶ人生へ。

 

それは、

誰かのためだけではありません。

 

自分自身が、

より自由に生きるためでもあるのだと思います。

 


 

もちろん、

私はまだその途中です。

 

腹が立つこともあります。

許せないこともあります。

嫌いな人だっています。

 

人間ですから。

 

それでいいと思っています。

 

大切なのは、

「愛のある人にならなければ」

と、新しい仮面を被ることではありません。

 

その自分さえも見つめながら、

 

それでも、

 

もう一度愛へ戻ろうとすること。

 


 

自分を愛する。

誰かを愛する。

傷つく。

時には心を閉ざす。

 

そして、

また少しずつ開いていく。

 

私たちは、

そんなことを繰り返しながら、

 

人生を通して、

愛というものを学んでいるのかもしれません。

 

そしてその旅の先に、

条件のいらない愛があるとしたら。

 

それは、

一体どんなものなのでしょう。

 

次回、

 

「本当の私を思い出す旅」の最後に、

 

無条件の愛

 

について書いてみたいと思います。