欲望を持ったまま自由になる

「認められたい」は悪いこと?

 

「認められたい。」

 

そう思ったことはありませんか。

 

仕事で評価されたい。

家族に認められたい。

友人に理解されたい。

SNSで「いいね」が欲しい。

実はこれも、ごく自然な欲です。

 

誰かとつながりたい。

自分の存在を感じたい。

その願いは、人としてとても健全なものです。

 

だから、「承認欲求は悪い」と否定する必要はありません。

 

問題は、その承認が自分の価値を決める基準になってしまった時です。

 

 


 

例えば仕事で褒められた日は気分がいい。

 

それは自然なことです。

 

でも翌日、少し注意されただけで、

 

「自分はダメなんだ。」

「期待を裏切ってしまった。」

「もう価値がない。」

 

そんな気持ちになってしまうことがあります。

 

本当は、起きた出来事は「注意された」という事実だけ。

 

けれどエゴは、その出来事に物語をつくります。

 

「嫌われた。」

「見放された。」

「もう認められない。」

 

そうして、自分で自分を苦しめ始めるのです。

 


 

以前の私は、人の反応にとても敏感でした。

 

相手の表情。

声のトーン。

返事の速さ。

 

そんな小さな変化から、

「何か悪いことをしただろうか。」

と勝手に映画を始めていました。

 

でも、そのほとんどは現実ではありませんでした。

 

マインドが作り出した物語だったのです。

 


 

本当に欲しかったのは、

「認められること」ではありませんでした。

 

安心したかった。

愛されたかった。

そのままの自分でいても大丈夫だと感じたかった。

 

それだけだったのです。

 


 

だから承認欲求を無理に消そうとしなくていい。

 

「認められたい」と思う自分を責めなくていい。

 

ただ一度、

その欲求の奥を見てみてください。

 

私は誰に認められたいのだろう。

 

その人に認められたら、本当は何を得られると思っているのだろう。

 

そして、

 

もし誰にも認められなかったとしても、

私は本当に価値のない人間なのだろうか。

 


 

不思議なことに、

 

自分で自分を認められるようになると、

 

人から認められたい気持ちは、少しずつ軽くなっていきます。

 

評価されても嬉しい。

評価されなくても、自分は変わらない。

 

その状態になると、人は驚くほど自由になります。

 

承認を求めて行動するのではなく、

 

自分が本当にやりたいから行動する。

 

そんな生き方へと変わっていくのです。

 


 

エゴはいつも、

「もっと認めてもらえ。」

と囁きます。

 

でも魂は静かにこう伝えています。

 

「あなたは、何かを証明しなくても、もう十分そのままで価値がある。」

 

その声はとても静かです。

 

だからこそ、立ち止まって耳を澄ませた時にしか聞こえません。

 

次回は、

「執着が苦しみを生む理由」

についてお話しします。

 

なぜ人は、手放したいと思うほど握りしめてしまうのか。

 

その心の仕組みを、一緒に見つめていきたいと思います。