4年分のアルバム | ピアソラの蜜柑

ピアソラの蜜柑

オレンジの街での生活

昨日はチキンかつ丼弁当↓

 

 

寒いのでお味噌汁付き。「量多すぎ!」とのクレーム。

 

今日はのり鮭弁↓

 

 

海苔をミルフィール状にしてご飯少なめにしたけど今日もクレーム来るかな(笑)

 

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4年分のデジタルアルバムの編集作業をしています。

 

2019年のクリスマスにスペインへ里帰りしたのが前回のアルバムの最後のページ。

2020年、年明けからコロナが始まってムスメが小学校を卒業して

中学校に入学するも学校が始まらず、10月にひでこちゃんが亡くなって・・・と。

今回のアルバムのスタートはこんなところからです。

2020年の9月分までは2年くらい前には既に完成してたのですが

なんとなく2020年の10月のぺ―ジを作成する気持ちになれず・・・

 

でも再びやる気になってきたので一気に終わらせます!

 

2020年~2023年まではジャイちゃんの

小学校卒業~中学校時代そして高校入学。念願の新居完成、

たっくんの小学校卒業と中学校入学とあった期間。

一冊のアルバムの中でもキッズの最初と最後の方のぺージの顔と身長が

全然変わってきているのに驚きます。

変わらないのはハル。私達もそう大して変わらない。いや老けたくらいか。

 

(たっくんにしつこくされて私に助けを求めているハル 年とってもかわいくていいなぁ~)

 

(ハイジのブランコ)

 

(引っ越し直後)

 

(まだ私より小さかった)

 

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先日の夫作のバゲットサンド↓

 

 

これは夫に作ってもらった方が絶対に美味しい一品。

 

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こんな苦し気なウィル・スミスを観るのは珍しい。

なんともなぁ・・・って感想。

 

先日50年近くも指名手配で逃亡していて末期癌で名乗り出て亡くなった人の話を

友人としていました。「なぜこの期に及んで名乗り出たのか?」

ネットニュースとかのコメンテーターや一般の色々な意見があって読んでいたら

「一種の勝利宣言」とか「無縁仏になりたくなかったんじゃない?」「自分勝手」とか

色々ありますが読みながらふと

「もしかしたらこの人は死ぬ前に自分の家族のことを考えたんじゃないか?」

と私は思いました。50年も逃亡していて最後に家族が彼の消息を聞いたのは1975年。

両親が生きているのかどうかは知らないけれど兄弟とかはいたかもしれないし

親族はいたはず。あの時代に地方から出て来て

東京の私立大学に通わせてもらっていたのだから

それなりに大事に育てられた恵まれたおうちの子だったんだろう。

 

死期を悟って「自分はここにいる」と

誰か知らせたい人がいたんじゃないか・・・?

 

人は死ぬ前に果たして「勝利宣言」なんてするだろうか?

「勝利宣言」は元気な時にするもんじゃない?

 

ただ被害者の方々の為にも50年間自分のしたことを反省して

日々何かに怯え不安を持ちながら暮らしていたのだと思いたいです。

そんなことをしばらく除草剤撒きながら考えてしまいました。

数年したら映画化されそうだな。

 

ミズエ