四柱推命の教室に行ってきました。
昨年8月から五行易を教わっている先生から、今年1月より四柱推命を習っています。

教わったことの復習のため、私の姪の生年月日時を使って命式を出し先生に見て頂きました。

どの命術もですが、命式に良し悪しがあって、それがいつも引っかかるのですよね。
もっといい事言ってもらいたいわ〜と私なんかは思います。
例えばそれが自分以外の誰かでも、救いようのある言葉はないだろうか?と探してしまうのです。


心が沈んで膝を抱えている人がいるとするなら、この人の魂の輝きの発端はどこにあるのか?

または今バリバリと活躍して輝いていたとしたら何がそのように働いているのか?

どちらももしかしたら命式には無いかもしれない。

その人が積み上げてきた独自の徳ゆえかもしれないし、業かもしれない。



だけどどちらにしてもきっと何かヒントがありそうだな〜というのが命術かなと私は思います。



同じ生年月日時でも、全ての人が同じなわけではないから。



教わっている四柱推命では姓名判断もします。

名前に助けられているかどうかを見ていくそうですが、そのあたりの学びはまだまだ先。

四柱推命の命式を出すのが難しいというかややこしいのでコツコツと頑張ります。



話しはもどり。


今日は先生と話していて思ったことは、一旦「命式を受け入れる」事をしてみると、自分の運命という名の舵をどうやって切っていけばよいかの指針になりそうだという事。



見たいものを見て見たくないものを見ないでは、占いの意義ってただ単に気持ちよくなりたいために都合良く使うものになってしまう。


だったらネットとか、アゲ鑑定してくれる人に占って貰えばいいと思います。



見たくないものを見、見たいものも見る。

吉は推し進め、凶は断ち切る。

嫌なことが起こらないことが幸せではないので、全てを含めた上で、どのように生きることを切り開いていけば良いのかを教えてくれるのが占い。


斜め上の一番星です。



自分が影響を受けているかもしれない星の特性を知り、該当していてそれが生きづらさになっているならば、改善したり伸ばしたりすれば良いかなと思っています。



例えば「騙されやすい」というキーワードがあった場合、なぜ騙されやすいのか?

それは「無垢」だからという変換ができます。

無垢というのはどんな人も差別せずに寛大に受け入れられるという事です。


しかし無垢というのは恐れを知りませんから被害に遭う事も。

玉石混合で中には騙そうとする人もいるかもしれません。


だからそんな事を頭の片隅に入れておくと危険な目にあいにくいですよとか。

ご自身の良さを大切にしながら危険から身を守る術も身につけておくと良いかもしれませんね、みたいな感じですね。



独り言ながら占い談義が尽きませんのでこのへんで。

未熟者の戯言でした知らんぷり