五行易では吉凶を出す事が基本でそれにはいくつものパターンがあり、相談内容(問いかけ)によってスライドしていくようなイメージがある。
たぶん、五行易を途中で諦めてしまう人は、この吉凶のパターンでつまづいて勉強を辞めてしまうのかもしれない。
この吉凶にさらにシャーロックホームズ並みの推察力と物語を繋げていく小説家のような想像力が必要になる。
…ような気がする
さらに流派によっては化解法と呼ばれる改善策を使って運勢を改善する技もあるけれど、運勢改善の技はおまけとして考えていたほうが良いと思う。
基礎部分の吉凶を占断できるようになる事が当たり前だけど何より大事で、これをなくしては改善策などあり得ないわけである。
独学で取り組んでいた時は接続相生(連続相生)だとか反吟だとか全くわからなくて、ここはどう繋がってどうなるのか?あらゆる伏線が張られた状態に糸が絡まって結局答えはなんだっけ?とわけがわからなくなって放置…という事もあった。
今は先生のもとで学んでいるためわからない部分を質問できて理解がどんどん進んでいく。
つまづきポイントとしては
・吉凶のパターンがたくさんある
・六親の象意をどう読み解くか?これも相談内容によってニュアンスが変わる
・運勢を改善するにはどうするか?
あと細かい部分だと
・応期の出し方もいくつか決まり事やパターンがある
ではどうすればいいか?
私が教えてもらいたいくらいだけど自分なりの整理方法としては
①十干十二支の陰陽五行、合冲、三合会局を覚える
②吉凶の出し方を実践例をたくさん見てそれを自分で解きまくる
③ある程度吉凶パターンを知る、まとめる
④六親の象意を簡単でいいので覚える
などなど順を追って学んでいくと良いのかなと思っていて、やはり②は重要。
私は五行易を始めたきっかけはもともと周易を独学で勉強していたのもあるけれど、ケルマデックさんの本を読んで改善策を自分もやれるようになりたいと憧れたからだ。
しかし、改善策は全ての内容が把握できている人プロフェッショナルがやれば薬にはなるけれど、ズブのど素人が手を出せば毒になり下手にやったところで効果があるのかないのかわからない。
憧れるのをやめましょうじゃないけど、学びにおいて誰かを目標にしたり憧れたりするのは必要がないもののような気がするし、むしろそれが時々邪魔になる事もあるのだ。
改善策を目指してしまうと本質的な部分からずれてしまうような気がして、今は学ぶ必要がないと保留にしてあるが知識としては持っていてもいいのかなとは思う。
私はそのような感じだが、現在五行易や断易などを学ばれている方はどんなふうに勉強されているのかとっても気になる。
今はマンツーマンで学んでいるのだけど、共に学びを分かち合える仲間がいるのも良いなとそういう気持ちも芽生えている。