10代の時は小説家や映画監督、歌手や女優になりたくて、中学生の時にオーディションを受けて画面片隅の脇役だけどNHKの番組に出た事もありました。
小室ファミリーのオーディションを受けるためのVTRを友達に撮ってもらったりしたけれど、いかんせん私は冷静に考える自分も存在していて「カリスマ性がないから無理」と、VTRを客観的に判断して送るのをやめました。
いやほんとに、東京ラブストーリーのドラマ版の三上を太らせたみたいなビジュアルだったので自分が自分を見て冷めてしまった。
外見じゃないかもしれないけれど、正しい判断だったと自分を褒めたい。
歌が大好きだから歌手になりたかったんですよね。
中学高校は芸能界に憧れて、進路希望の紙に「ポールマッカートニーが作ったエンタメスクールに行く!」と書いて先生には真剣に取り扱ってもらえなかったような記憶があります。
そうこうしているうちに「大人」へのカウントダウンが近づいてきて、幼馴染は就職活動をしたり短大へ進学したりして、当時は世間的に歓迎されなかったフリーターへの道に進む事になりました。
フリーターやニートを交互に過ごし。
自分で見つけたのは身体に携わる仕事。
ソフト整体や足に関わる内容。
イエスキリストが香油で弟子の足を洗ったシーンが好きで、それと私自身が小さな頃から足腰が弱かったのがリンクして、足と身体のケアをする道に進みました。
当時の私自身に圧倒的に足りなかったものと、今の私がようやく気づき始めたものは何か。
願いの大枠を決める
という事です。
例えば占いで開運方法があるとして。
大体の方は現状→未来という図式で取り組まれると思うのですが、そうではなくて。
未来→現状
という図式で考えていくと、
・本当にやりたいこと
・必要のないこと
・やらなければいけないこと
が具体的になってきやすいのです。
やりたいことをやんなよ〜
やりたい事はなんですか?
そんな事言われてもわかんねーし。
ずっと自分を押し殺して生きてきた人は、「私のやりたい事って何だったかしら?汗」となりやすいわけで。
私もずっとそうで、他人様からも「あなたって結局何がやりたいのかわからないね。」と言われる始末でした。
自分がわかんねーんだから他人がわかるはずねーだろうな。
細かいことはいいと思います。
だけど自分はどう生きたいのか?を明らかにすれば、細かいところつまり「やりたい事」は見えてきます。
唐揚げ食べたいとか
広島行きたいとか
習い事したいとか
カフェに行ってケーキ食べたいとか
推しのお笑い芸人さんのYouTube観たいとか
なんでも。
まずは大枠を考えてみる。
あとは無意識さんの自動操縦にお任せしながら、やりたい事をやっていく。
さてさて、今日の夕飯は酢豚ならぬ酢鶏をつくろーっと。
【お知らせ】
2月4日よりブログタイトル変更致します。
keisen radio〜手相家のつぶやき〜
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