おさむの書

いち医学生から研修医、そして一人前の医師となり地域について考えていくブログ


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ご無沙汰しております。

いつの間にか、漫画「麻酔科医ハナ」のキャリアを超えた、おさむです。

 

なにげにブログではスルーしていましたが、この4月から10年間根を張った大分市を離れ、はじまりの地である中津市で麻酔科医として勤務しております。

(「はじまりの地」に関してはまた後日・・・)

 

10年いたのかぁ〜〜。。。そういえば先輩が何事もまずは10年続けろって言ってたっけ・・・。

 

大学とはまた違った手術室運営や麻酔について戸惑いながらも1週間が過ぎ、何気に本日開心術麻酔(人工心肺を使うもの)デビューでした。

1月からペインを回ってた自分としては、急患も含め今年4例目の開心術であります(少なっ!)。

 

大学からも応援が来るということで、一緒に麻酔をすることがそこまでなかった上司と一緒に、大学の上司と今の病院での上司と3人での麻酔導入は違った意味で緊張しました。

ここの麻酔も、術者とのコミュニケーションをとりながら、気持ちよく麻酔をすることができ、いろいろ細かい反省点は多くあるものもデビュー戦としてはなんとかやり遂げた感じで勤務を終えました。

 

そのあと、大学の先輩と食事に行き医局の近況や今後のついていろいろ話はつきませんが未来日記を描きました。

 

 

 

 

今回、任期未定ながらも地域枠の医師としての地域勤務となりました。

 

大学での医療を学び、その技術で地域の患者に医療の種まきをしていく。地域枠医師のキャリアパスは大きくはこのようなものになると思います。そういった中で今日特に感じたのは、医局のバックアップの心強さです。

 

過去に何度かブログで、大分県の地域医療を語る上で、この田舎の山奥に済む住民の夜中に発症した大動脈解離を、どういう医療資源で命を救い、その患者がまた自分の田舎に帰って暮らせるかというのが地域医療のテーマだと思います。

そして、医療資源=マンパワー的にそれはある程度の大きな病院に集約化されるべきだとは思うが、それだとそこの病院が疲弊してしまう。救える命も救えなくなる。そういう時に、もちろん症例は限られるかもしれないが、地域の中核にそういう医療の一部でもいいから支えることができる病院があれば、県全体の医療はもっといいものになる。

 

地域に出て医療をやる上で、大きなハードルになることは心細さだと思う。不安もある。だけどこういうときにも、しっかりとした中枢の支えがあるというのはとても心強かった。今日も実際、少し考えることがあって、すぐに相談することができた。

 

こういう地域医療を実際支えている医局のちからというのはものすごく大きい。

もちろん、将来は自分が支える側に回らないといけないわけだが、自分は今日の上司の立場になった時に同じことができるかというと全然手が届きそうにないので途方に暮れるのだが・・・そこはまだこれからの日々の精進なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

今までは、大学しか知らなかった。外に出ることで他の麻酔も知る。また、大学でしかできなかった医療というのも多くあるだろう。医療資源、病院機能、医療スタッフ等多くのことを考えて、そこに合った麻酔を見つけなければならない。ただ、今しっくり来ているものがベストでもないかもしれない。変えるべきところは変え、学ぶべきところは学び、自分の引き出しにして、いくつもやり方がある中でここではこれがベストだという選択ができるようになりたい。

麻酔科医は成長が早く、独り立ちもはやい科だと言われる。だけど奥が深いのは、一つ一つの手技が身につくのははやいが、それを突き詰めていったり選択肢を増やすという意味では奥が深い。

 

 

 

まずはここに慣れることから。

 

 

おさむは、なんとか元気でやっております♪


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3月は別れの季節と言います。

 

このブログをご覧のみなさんの中にも、仲間との別れやお世話になった方の元を離れたり国試合格発表前でそれどころじゃねーよ!って方などたくさんいると思います。

 

かく言う私も、異動する身でありながら同僚が旅立つということで送り出す側であります。

(しつこいが、僕自身も本来は送り出される側...orz)

 

 

というわけで、送別会の企画を考えたり、サプライズの準備をしたりしています。

 

 

 

 

 

別れの季節のサプライズで思い出されるのは、BTGでやったミズッキーお別れ会があります。

 

正直、もう7年も前の企画ですが未だにそこからの学びを超える良い教科書がないってくらい多くの教訓を得た企画でした。

 

過去のブログにまとめてはいますが、あらためて振り返りつつその意味を言葉にし、今だからこそできる振り返りをしていきたいと思います。

 

2011年、BTGでは多くの学生企画を行っていた。フリーペーパー、街イベ、グルメのイベント、食育・・・。その情報発信ツールとして、フリーペーパー1PPI!(イッピ)さんと組んで企画をやってたりした。

 

1PPI!さんは、今でこそYouTuberやTickTokerというSNSを用いた情報発信番組が大流行しているが、その先代のツイキャスでゆる〜い番組を定期配信していた。はっきりいって、時代の先駆者です。

ちなみにそこのスタッフは、大分のローカルアイドルの老舗Chimoのスタッフだったりしていて、当時は街イベント竹田のとうもろこし企画でコラボしたりしていた。最近思わぬ再会もあって、その意味がまた面白い方向に進みつつあるのだが、その話はまたの機会に。。。

 

そのツイキャスのMCが、元ミス別府のミズッキーと、元Chimoのミッピの2人。

 

 

まだ大分駅周辺の開発途中の頃から駅裏(大分駅南口)に目をつけ、Wi-Fiスポットにもなる食事処「笑暖」さんで毎週放送されていた。そこのオーナーがまた非常に理解のある方で、BTGでも「まちなか学生スポット」として平日の決まった時間に学生向けにお店を開放してくれて、学生が街に来て何かやってる空間を演出したこともあった。

 

その自分の企画力を見たオーナーが、「なぁなぁ、ミズッキーのお別れパーティーやってくれんか」と、ある日突然言われた。

 

 

 

△ある日突然言われる(BTGメンバーによる俺の誕生日兼バレンタインデー放送局の日に仕事を言い渡された俺...orz)

 

 

 

当時彼女は、大分ローカル番組のお天気キャスターも務めていた。

 

 

この頃の僕は、阿波コンの経験からムービー作成がマイブームとなっていて、サプライズムービーを作ることまでは容易にたどり着いた。

 

ちなみに、この企画が立案したのが2011年の2月14日。その後自分は短期語学留学のため2週間ほどオーストラリアに行っていて。その間に東日本大震災があったということがある。

 

帰国して、短時間で一気に企画を進めた。一応、企画はBTGで受けた。が、相手が偶然か出会った見ず知らずの女の子のなぜか卒業パーティーの企画ということでメンバーにもうまく説明できないまま時間だけが過ぎた。ただ、BTGでお世話になっているオーナーの頼みだし、自分たちに声をかけてくれたのが非常にうれしかったのでその期待には答えたいと思ったのだ。

 

 

普通に卒業パーティーのイベントを組んで、イベントに人を呼んだ。

 

お天気キャスターでもあったので、テレビ局関係の人の協力とかいろいろあたったが、正直なかなか協力を得るのが難しかった

 

 

 

なんかよく分からんけど、悲しくなった

 

 

 

 

 

こうして1人、大分で若い世代が時代を築いてきて卒業しようというのに、みんなで盛大に送り出してあげようよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

友達関係は、府内次世代フォーラムや地域活動ゼミのネットワークには一切引っかからず、半ばTwitterストーカー的なことにもなりつつ結局は相方のミッピに友達を紹介してもらってサプライズムービーを撮影した。

 

見ず知らずの、彼氏でも何でもないが突然「卒業ムービーを撮るので集まって」。。。今考えればよく協力してもらえたもんだ。

 

 

 

 

さらに、当時のミス別府のメンバーにも、コネを使って声をかけてムービーを撮影した。

 

今では誰もが知るローカルアナウンサーの人やタレントから、見ず知らずの男が「ミズッキーの卒業コメントを撮らせてください」。そりゃあ、夜中に日出のジョイフルにまで撮影に行ったりもした。

 

今振り返っても、その当時の自分のがむしゃらな行動力は凄まじい。

 

 

 

 

というのも、悔しかったんです。卒業イベントなのに、みんな集合にならないのが。

 

 

 

東京で、それこそカリスマ学生団体の代表のパーティーとなるとそりゃあもう大人数でどんちゃん騒ぎして、みんなで主役を立て、盛大に代替わりし、送り出したもんだった。全国から仲間のメッセージが届き、これぞ仲間だっ!と心の底から言える。それが、卒業パーティーだ。

 

 

大分の人は何だ!?人を送り出すこともできないのか?と、情けなくなった。

 

 

だからせめて、せめて、少ないかもしれないけど量より質を追求した。

 

 

その最たるものが、僕は親に会った。親に会って、幼少期や成人式、ミス別府の仕事のときの写真もいただいたりした。

 

 

 

今振り返ってもすげぇなと思う。お見合いかよwwwww  ポイントは、彼氏でもなんでもないのにここまでやったという。

 

ちなみに、何らかの進展を期待しなかったかというと0ではなく、0.00000000000000001%くらいはあったのかもしれない。が、実際は何語もとなく彼女は今幸せな家庭を築いているとのことです。

 

 

これもすべては、悔しさにあった。

 

人におめでとうも言えないなんて、心が貧しすぎる。

 

 

 

 

 

でも、企画に協力してくれた人は違った。ムービーを撮りながら、徐々に自分はミズッキーの偉大さに気づく。

 

 

僕は東京でいろんなカリスマ、人の上に立つ人、多くの仲間に慕われる人を見てきたが、ミズッキーの周りの人はみな素敵な人で企画に協力してくれた人は本当にステキなエガオで彼女の卒業におめでとう、がんばってきたねと言ってくれた。

 

 

 

そんな貴重な素材をたくさん集め、いざ編集をする際に自分の中で新たな学びがあった。

 

 

OKラインを下げないこと

 

 

 

ここまででいいやとか、ここまでやれた。ゴールを設定するのは自分だが、どれくらい高く、あるいは低く設定するかは自分次第。いかに妥協せず、更なる上を目指すか。

イベントごとの前日は結局不眠不休になってしまう自分は、最後の最後まで妥協することなくムービーを仕上げた。

 

 

 

 

イベント当日は、ファンだけでなく「BTGだから」とよくイベントに来てくれるBTG支援者(多分)の方や久しぶりに大分に帰ってきてBTGのイベントだったらと来てくれた人もいた。正直、ミズッキーの卒業パーティーなのにそういう呼び方もどうなんだろうと思っていたけど、いざ本番を迎えるとそんなのどうでもいいくらい楽しくいいイベントになった。

 

なお、当時のブログもあります。リンク先にツイキャスのアドレスとかもあるのでよければみて下さい

ミズッキー卒業パーティ

 

このころ、ちょうど街で出会った詩魂屋りゅ〜とさんにも即興で声をかけ、パフォーマンスをしてもらったりと、BTG×ミズッキー×1PPI!なイベントになりました。

 

しかも、これまでの集大成でした。人脈や一つ一つの企画の発想。ムービー作成は阿波コン行かないと絶対なかっただろうし、りゅ〜とさんは、B級グルメのイベントをBTGで企画してなかったら出会うことなかったし、ファンの中には空手部の後輩もいたり起業関係の勉強会に来てくれたメンバーもいたりした。何一つ無駄なものはなかった。活動というものをしていると、こういう節目節目になぜか知らないけどチェックポイントのようなものがあって、それまでの行動や正しかったか、日々の積み重ねが十分であったかをチェックされるような瞬間がある。この感覚は、東京も大分も変わらない。自分はこの時、学生団体の聖地でもあるオリセン(国立オリンピック 記念青少年総合センター)にいるかのような錯覚に陥った。

 

 

 

 

 

さて、ここからの教訓です。記事のテーマでもあるサプライズの極意

 

 

僕は、忘年会もそうだが追い出しコンパやお別れ会というものを重視している。というのは、その人のそれまでの集大成であり、通信簿発行の場であり、人生のチェックポイントであるからだ。

 

逆に、企画する側は、その人そのもののこれまでの道に答えがあると思って欲しい。

 

ミズッキーの場合は、ミス別府の活動、お天気キャスター、サークル・学生活動、ツイキャス(Chimo)etc...。ツイキャスの内容なんかまさに宝の宝庫で、企画のヒントが散りばめられていた。最近のブームや好きなことだけでなく、その人の価値観や何がうれしいのかとか。答えは生み出すものじゃない、そこにあるのを正しく拾うだけでいいんです。

 

また、正しいものが何かわかった時に次に直面する問題は、それにふさわしい力を現時点で自分自身が持っているかどうかである。

 

ビデオレターのムービー撮影は最たるもので、正直それまでの人脈にはどこにも引っかかってこなかった。同じ短大なのに、ある意味世界は広いのか?だから、その点では自分の実力不足だったわけである。そうなった時に、力がないことを嘆き諦めるのか、じゃあ今自分にある力は何かをもう一度考え、それでできる方法を考え前に進むか。できない理由をあげるのではなく、できる方法を考える。結局その答えが、ミズッキーの企画の場合はただひたすらにがむしゃらに人をあたり、会いに行くという行動であった。正直この企画で、自分の行動力(とがむしゃらさ)は大きく向上したと思う。一見できないことでも、やりようによってはいくらでも方法はあったわけである。答えは全て今にあり。

 

 

その人のために何かをやりたくなる、力が湧いてくる不思議な人っている。

 

東京時代の僕の学生団体の師匠も、そういうタイプの人間でした。企画をやりながら、ミズッキーにもその一面があるというのを感じていた。

 

でもそういう人でも、そういう力を持った人だけじゃダメで周りにちゃんと実際に行動する人がいてこそ成り立つ

 

その点では、その人の力はすごいのに周りの人に恵まれず散っていった若い力が地方には特に多い気がする。時代の被害者と僕は呼んでいる。だから僕は、せめてその人の力を壊さないようないい伴走者になろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

【追記】

久しぶりに昔の企画を紐解きました。書きたいことを引き出すためにムービーも久しぶりに見ましたが、泣きました

 

また、この企画はツイキャスあり、サプライズムービーあり、Chimoのステージあり、りゅ〜とさんのパフォーマンスありと正直豪華すぎる企画です。よくまぁここまでの企画をやり遂げたもんだと、7年前の自分ってすげぇなと思う反面、昨年最後のブログ「時代」でも書きましたが、ほんと俺って衰えたなぁとつくづく思います。7年前の自分に、今の自分は全然勝てない。ま、今大分にいろんな元気な若者いるけど、その誰にも7年前の自分は負けてはいないんだけどねwwww

 

 

 

そして思った。大分はやっぱもっと若い世代を大切にしなきゃダメだ。時代に埋もれさせてはいけない。もっとこの笑顔たちに、活躍の舞台を設けなければならない。

 

最近ホント、自分の人生においてBTGってなんだったんだろうなって考えること多いですが、もう少しその答えにたどり着くのには時間がかかりそうです。


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麻酔科医オサです(「麻酔科医ハナ」風?)

 

麻酔科医ってどんな仕事?

 

麻酔というとみなさん手術を思いつくと思います。

麻酔科医の基本となる技術は、手術麻酔になります。

手術中は、麻酔科医が患者さんの呼吸、循環をはじめとした全身管理を行います。

要は、生命活動の代行屋

 

それが麻酔科医の持つ技術の基本です。

 

 

集中治療、それは救命医療における最後の砦です。

様々な医療の形がありますが、麻酔科医が専属で集中治療を担当している病院もあります。

それは、集中治療の領域で必要とされる、意識・循環・呼吸・消化器・腎臓・血液凝固・栄養・内分泌の技術が、手術麻酔の技術とかぶる部分が多くあるからです。実際僕も働いていて、術中にはじめての場面に出くわしたとしても「ICUではどうしてたっけ?」と思い返すことで対処できることが多いです。逆も然り。また、手術室の運営に関わる麻酔科医が集中治療室を持つことで、術中何か重大なイベントが起きたとしても自分たちの科の中で術後の治療も行えるという安心感もあります。

 

 

 

 

麻酔科の柱はもう一つあります。それが、ペイン・緩和ケアです。

学生の頃からの気持ちを正直に述べます。手術麻酔と集中治療は、正直かっこいいです。超急性期ですし、蘇生処置を含めた生命徴候に精通し、究極の医療とも言えます(単純にカッコイイってのをいいたいだけです)。それに加えて、ペイン・緩和って、学生のイメージからしたら地味でした。医療職でありながらも、緩和ケアって末期の医療ってイメージが強く、慢性期でとにかく引き伸ばしの医療。やりがいをどう感じるか、好みが分かれる部分だと思っていました。ただ、超急性期を好む手術麻酔・集中治療志向の強い麻酔科の中では、ちょっと特殊な領域だなと思いました。手術麻酔の技術の中で鎮痛の技術を使ってペイン・緩和というのは、若干こじつけて無理くり3本柱にしてるだけで、実質手術とICUの2本柱だろうというイメージが強かったです。

 

実は、無理を言ってこの1月からペイン・緩和ケアの部署に勤務しております。

ペイン・緩和の技術を持つ医師のニーズって、地域の病院ではものすごく高いんです。たしかに一般内科、ジェネラリスト(総合診療医、家庭医?)風潮も強いですが、僕が仲のいい某地域中核病院は まず産婦人科(産科)のニーズはほぼなく、「そんなのいいからペイン・緩和をやって麻薬とか神経ブロックやってよ」とまで言われたほどでした。当時まだ麻酔科のあと産科に戻るつもりでしたので「そんなの」扱いされたことに若干傷つきもしましたが、実際ペイン・緩和の研修をしているとこれは地域のニーズは多分高いんだろうなと思うことが多々あります。しかも、これはきちんとした研修をしてからでないと身につかない技術だと思う。正しく問診をし、正しく評価し、正しく介入するのに少し癖がある。

 

痛みに苦しむ入院患者を持つこともあるが、他の科から相談を受けて緩和ケアチームで診療に当たることも多い。

 

自分たちが術後ICUで治療した患者が緩和ケアチームにコンサルトされたこともあった。

 

集中治療で急性期の治療が終わって病棟に戻ったあと患者がどうなっていくのか、転院先の調整、退院に向けてといったことも考えた。やってることは、時間のスピードは違うけど、病棟の集中治療(全身管理)だった。介入が痛みのコントロールだけで済めばいいが、麻薬系鎮痛薬を使えば眠気が来たりボーっとしたりもする。吐き気や便秘を訴える患者もいる。点滴でやるのか錠剤でやるのかは、患者の全身状態にもよる。薬物の吸収も考えないといけない。結局病棟でやってることは、意識・循環・呼吸・消化器・腎臓・血液凝固・栄養・内分泌だった。これって、ICUと一緒じゃん!将来自分は、地域の病院で勤務してICUのノウハウをもとに病棟で状態の悪い患者を診たりして地域の病院の質を向上させることができればとか密かに考えているので、すごく勉強になっています。また、病棟で使ったりする薬がもしかしたら今のICUでももっと良いものとして使えるかもしれないとペイン→ICUの流れもある気がする。最近そこまでガッツリICU勤務できていないのでそこまでの提案、介入はできていないが・・・。

 

また、ICU経由せずとも術後の痛みの相談を受けることもあった。

 

もともと痛みがあって定期的に麻薬系鎮痛薬を内服していた患者が手術になった。

手術の内容や血液検査の結果から、手術麻酔は思うようなベストな術後鎮痛(硬膜外併用麻酔や術後神経ブロックができなかった)が難しい症例だった。事前に外科の先生から相談を受けていたというのもあり、ペインとして介入することができた。そしてその麻酔を担当した後輩に「いいよ、術後はこっちで診るように準備してるから」と、手術麻酔に続いて麻酔科として介入できた

 

これは、先程述べた「手術室の運営に関わる麻酔科医が集中治療室を持つことで、術中何か重大なイベントが起きたとしても自分たちの科の中で術後の治療も行えるという安心感」の関係と似ていて、どうしてもやっぱりこの事例のように病棟でのペイン管理が必要になる手術患者もいるだろう。

 

 

今まで、麻酔科の3本柱は手術麻酔、集中治療、ペイン・緩和と知ってはいたもののいまいちピンときていなかった部分もあるが、無理矢理ではなく本当に、この3つの柱が互いに深く関係しあっていることが自分が研修してみて本当に感じた。

また、緩和ケアも末期の医療なんかじゃ全然ない←単なる勉強、認識不足

ほんと、病棟の全身管理なんです、やってることって。

 

 

ペインの研修をやるのは数年ぶりらしいです。なかなか人材確保に難渋し、そこまでマンパワーが出せていない現状もある。

 

 

みなさんやりたいことがあると思います。でも、マンパワーがないとやりたいこともできなくなるのではないか?やりたいことをやるためには、もっと人がいる。そのために、せめて正しい情報公開はしていかないとなと思っています。

 

 

 

 

みなさんも、目の前で苦しむ患者を救う医者になりませんか???

 

 

 

 

 

痛みが診れる医者って、たぶん地域の病院に行くとニーズ高いんだろうなーと思った。内科的な思考もしつつ、時間のスピードは違うけど集中治療=手術麻酔をベースとした全身管理を外来でする。

 

 

 

 

地域医じゃん!!!!!

 


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いよいよこの週末、第112回医師国家試験が開催されます。

 

 

 

こんな僕でも医者になれたんですから、みなさん大丈夫です!!!

 

 

 

 

これ、本当です。

自分は学生時代の成績は劣悪でした。4年から5年への進級試験ではあと2点で不合格でした(ちなみに、得点率9割を目指す試験でそのつもりで勉強したにも関わらず6割ギリギリだったという)

BTGとかでは気丈に振る舞っていましたが、正直苦しかったです。

でも、そんな僕でも合格できた。もっというと、医学部に編入できた

 

だから、すべての人は医学部に編入できるし、医師国家試験にも合格できるとホンキで思っています。

 

正しく努力すればという条件付きですが。。。

 

どうせ多くはそこでふるい落とされるというのをわかりつつも、要素が努力のみであるので誰でも可能性はあるという話。

 

 

医学部合格というのは、大学受験戦争から言うと最高峰の成果である。

 

単純に成績という数字で評価され、上を目指してきた人たちが集まる場所でもある。

 

医学部合格の、医学部の出口である医師国家試験というのは正直受験モノの中ではこれまた最高クラスの試験であると思う。

 

 

というと、受験バカとか勉強しかしてこなかった人とか、だいたいそういう人たちって「勉強はできるけど・・・」って、優しさとか人の気持ちがわかるとか人間味の面で欠けているというよく分からん批判の的となる

 

 

 

人を治したいという情熱のもと、この身を削って日々努力をし続ける医師のどこが人間味欠けた人間なのでしょうか?

 

 

医師国家試験合格の要件は、受験者の王道でもある知識とか学力とかそういう要素であると思われがちだが、僕は案外そうでもないと思っている。

 

 

厚生労働省が狙ってなのかたまたまなのかは分からないが、医師国家試験というのはきちんとその試験で医師に必要な資質をみているといっても過言ではないと思う。

 

 

僕の、国試に向けてのブログを見ていただくとわかるのだが、膨大な試験範囲というタスク処理能力、スケジューリング能力といったスキル面のみならず、途中で諦めない姿勢、泣いてでもとにかく前に進むこと。そもそも苦しいことから逃げたり泣いて自己嫌悪に落ち込むことなんか現実的に問題解決にも何にもならないから、淡々と必要なことをやり続ける日々の努力を試験を通してみてる気がする。

僕は、BTGでアントレとかしながら後輩に一歩踏み出す心意気を教えてきたが、まさしくそれが自分自身に役に立ったのは医師国家試験だった。

いや、むしろコンビニやチェスの問題を解くよりも苦しいと思う。

 

 

いくらやってもできない自分に嫌気が差し、泣いた日もたくさんあった。20代男性が勉強できなくて泣くって、ないですよ。

 

でもね、泣いても点数は上がらないんです。唯一の点数を上げる手段はとにかく繰り返すこと。同じ問題を10回間違えて泣くんだったら、100回間違えればいい。いくらなんでもそんだけやればできるようになるだろう。

 

 

 

医師国家試験合格に必要なのは、そういうコツコツしたことの積み重ねだった。

 

 

 

だから、試験自体は難しくはないです。

 

 

 

とにかく、自分を信じて前に進むのみです。

 

僕の苦悩は、過去のブログを読んで下さい。

 

 

 

この時期になると、YouTubeに予備校講師のエールがあげられています。

 

その中で、僕もお世話になったDr.孝志郎のエールが心に響く

 

 

 

 

勢いの神様って居るんですよ

 

どんなに成績が奮ってなくても、勢いの神様を味方につけると合格しちゃうんです

 

 

 

 

 

この、勢いの神様というフレーズが自分の中でHITでした。

 

 

たしかに。

 

 

よくよく考えると、僕の人生勢いの神様にお世話になったことが何度もあった気がする。

 

 

早稲田に進学したときもそうだったし、学生団体でブイブイいわせてた時は勢いでガンガン行ってた行ってみた。何かしらんができた。次もできる気がする試しにやってみたできた。

 

この小さな成功体験の繰り返し。

 

 

だから、いくら御託を並べていいこと言っても、指をくわえて見てるだけのやつに栄光の光なんて降り注ぐわけない。

 

そういう口だけのウェイ系なんてゴマンと居る。

 

 

 

勢いの神様を味方につける人は、それなりの瞬発力、機動力、行動力を持ち合わせている。

 

 

そういう人に憧れるのは勝手だが、自分が一歩踏み出してみればいいのに。

 

 

最初は小さな勇気かもしれない。でも、その小さな勇気の積み重ねが大きな光になるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけでですね、

 

 

 

 

 

もうね、

 

 

 

 

勢いで受かっちゃってください:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・去年とかのほうがもっとまともなこと言えてた気がする。。。orz

 

 

なんか、中身のない記事になってしまったなぁ〜〜。

 

 

でもね、早く合格してこっちにおいで♪

 

 

 

世の中もっと、努力の成果を提示すべきである。

 

 

自分の人生の選択をする上で、その先に待っているものが見えないことには目指せなかったり、それが具体的であればその日々を夢見てちょっと大変かもしれないけど頑張ろうって気になると思う。

 

僕にとって、医学部・・・医者の世界ってよくわからない世界だった。勉強できて成績いい人の世界。。。う〜ん、そういう人もいるしねくらいの。

 

 

でもね、今ならわかる。この努力の先に待っているものがどんなものか

 

そして、もし昔の自分が、この努力の先に待つ栄光がこれほどのものであるのならば、やっぱ努力したと思うな〜〜。ストレートで医者になったと思います。かもしれない。

 

 

1年後、このブログを読んでいる人にルート確保や挿管、心肺蘇生などを指導できるように、待ってます♪


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今日は、主に産科領域のスタッフ(産科医、助産師、看護師)向けに開催されている母体救命コースを受講してきました。

産婦人科の領域は離れてしまったけど、救える命を救いたい。救命、蘇生に興味があるのは変わりない。

 

ICLSではインストラクターで指導する立場になってはいるけど、今日は受講生です。

地域の周産期施設の助産師、看護師さんも受講していて、先日ICLSで指導した受講生が同じく受けにきていた。また、同じ病院の助産師さん(研修医の時お世話になった)や、指導者側には県内でお世話になった産科の先生(当然、研修医の間なんだかんだ6ヶ月は産婦人科やっていたので)も多くいる。今日は麻酔科として登録した。

 

コース自体は難しくなく、楽しく学ぶことができた。想定が産科からみなので、診断や治療に関しては少し後手に回った(それでも研修医の頃の経験は生きた)が、さすが麻酔科というかショックの覚知や呼吸・循環に関する対処は得意だった。この辺、まだ麻酔科専属2年(麻酔科標榜医申請中)ではあるが、自分の色が出せたところかな?

 

コースの中で何度も「先生は一度退職してうちに」「ぜひ転職してうちに」と引き抜き引き抜かれまくり( ̄◇ ̄;)

 

 

麻酔科って、そんな科なんだなぁ〜〜。。。

 

心外の麻酔していて、憧れの心臓血管外科の先生とチームで手術に関われる感動(成長の早さ含む)を麻酔科の魅力としたが、心臓血管外科だけでなく他の科でも自分がわずか2年間という時間で身につけた技術はほかで重宝されるものだったんだと改めて自分の存在というものについて考えさせられた。

 

 

ぜひインストラクターに」という話には、二つ返事で快諾した。

 

僕は、諸事情により産婦人科の道は離れてしまったけど、せめてこういう形で恩返しにでもなればなと思った。そして、救える命を救いたいという思いはきっと何科の医師だろうが看護師だろうが助産師だろうが、多分目指す先は同じはず。そこに、いがみ合いなんていらないはず(ないけどね)。

 

 

 

 

もう間も無く大きな変化が訪れようとする中で、改めて自分について振り返ってみた。

 

自分の志って何だろう?

 

 

 

 

それは、「あきらめなくていい」と言うこと だと思った。

アントレ受講生全員に伝えたい「自分を一文で語る語り方」の超お手本表現

 

 

学生の頃の学生団体は

 

大分だからといって成長を諦めなくていいんだよ

 

 

産婦人科になりたい

 

地域でもお産を諦めなくていいんだよ

 

 

麻酔・集中治療の技術を持って地域に出たい

 

田舎でも助かる命は諦めなくていいんだよ

 

 

 

 

すべてが、諦めなくていいんだよと呼びかけるものだった。

 

 

学生団体に関しては東京でのノウハウを、地域に出た時は、大病院の標準治療、当たり前レベルの医療を地域に・・・まさしく、種まく旅人の生き方を自分はしてきたし、これからもして行くんだ。

 

 

 

ICLSはもうだいぶやったけど、この母体救命のコースはまた1つ自分の医師人生の中で意味を持つものになってくるのかもしれない。

 

 

 

 

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