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おさむの書

いち医学生から研修医、そして一人前の医師となり地域について考えていくブログ

来週は仕事なので、この週末は期日前投票に行ってきました。
 
もはや、若者に響かせることのできないおじさんの声ですが、これでも昔は大分でもこういう活動はあったのですということで回顧録代わりに若者向けの投票率向上の活動について紹介しておきましょう。
 
 
そもそも、東京で活動していたころの後半期は多くの活動が議員インターンシップに関することだった。
 
NPO法人ドットジェイピー関東支部の第19期生だった自分。
 

 

 

 

インターンをしたのは2007年の第21回参議院議員通常選挙。

そう、あの自由民主党が歴史的大敗を喫した歴史に残る選挙。

 

 

『ん?これってもしかして、何か変わるんじゃない?』

 

そう思わせてくれた時代の流れだった。

 

 
 
インターンをするまでは、議員の仕事ってよく分かんないし難しそうだし・・・と思っていたが、いざ接してみるとものすごく人間味にあふれる、そして政治も実はおもしろおかしく裏で作戦立てて戦略的に国を動かしていることが知れた。
自分がその日の事務所で知れたことが遅れてニュースになってたり、もう決まってることをワイドショーのコメンテーターがあーだこーだ言ってるのが愉快で、妙な優越感を味わっていた。
 
そのくせ、夏の暑い日に自転車で選挙区内を回ってポスター張りをしたり、朝の辻立ちをしたり・・・。青春の一ページ。
 
 
政治に無関心でいることはできても、無関係でいることはできない
 
これはその時のインターン先だった議員の言葉。
 
また、そのころ医学部の編入試験も控えていたが、すごく応援してくれた。
 
 
僕が、東京にいながら大分の地域医療の実情を知ろうと検索をかけたのは大分県議会の議会議事録であり、地域枠の奨学金制定に浮いて議会で発言していた議員の事務所に直アポを取り、そこから市議を紹介してもらって病院見学をした。
 
「なんか東大生が・・・」
 
と、びっくりさせてしまい申し訳ありませんでした。謎ですよね。
 
 
 
ちなみにいま、その時見学に来た病院で麻酔科医として勤務しています。
 
 
 
 
大分に帰って、最初にBTGの活動で考えたのが議員インターンだった。
 
 
一応、学生団体として活動するうえではすべての会派に平等であるべきだと、すべての事務所にアポ取りをして会った。
 
 
が、そもそもこういう学生活動が当時はなかったため、事務所に入るなり住所を書かされて親の仕事を聞かれたりサークルは何をやっていて何人いるかとか・・・そういう対応をされて、これは危険だと感じた。
 
 
唯一、東京の某私大出身でドットジェイピーのこともご存じだった議員秘書さんが、「いいね!」と言ってくれ、とりあえずBTGでの活動先の事務所を決めることができた。
 
 
おかげで、大分の地域のことや、まちなかで道路や施設の使用許可の取り方、大ホールの裏方やイベントの組み立て方など多くのことを勉強させていただいた。
 
 
 
 
これはイケそう?と、正式に議員インターンシップと名付けて活動もしたことはしたのだが、なかなか地方議員さんの方がそういう学生に慣れていなかったり、若い人との出会い系と勘違いされたりして、根付かせることは難しかった。
 
 
若者の政治離れは、政治家のせいもあるのではなかろうか・・・。特に地方はね。
 
 
活動する大学生グループがメディアに出たりすることで、他の会派の事務所も同じようなことを大学生を使ってやったりしていたが、公職選挙法に触れるギリギリのことをさせられたり(それでも選挙カーに乗れれば学生はドヤって満足)、ただの都合の良いボランティア扱いで終わったり・・・。いろいろありました。
 
 
 
一方で、若者向けに投票を呼び掛ける活動も行っていた。
 
東京の頃のコネをフル活用し、全国の若者向けに投票を呼び掛ける活動=「夏政り」の大分を担当。
 
 
△旧大分駅での写真(超貴重)
 
 
SNS場で呼びかけをしたり、いろいろ東京の学生団体と組んで全国展開の学生イベントの大分版を担当することが多かった。そこから派生して独自の企画も・・・・
 
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△選管とのつながりもでき、着ぐるみを借りれることに
 
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△I WILL VOTEは、当時はやったスケッチブックでメッセージを出してSNSに投稿するという全国活動。
全国47都道府県で、下記HPのTOPに表示されている写真のうち大分県が一番多い♪ がんばった~~~!!
 
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△事あるごとに借用されるめいすいくん
 
 
 
いろいろ振り返りながら、過去のブログを貼っておきます
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
これらの記事の中に登場する人の中には、市長になってたり、今度の選挙に出馬して今まさに戦っている人もいれば、志半ばに不幸にもなくなってしまった方もいて、いろいろ思い出しました。
 
 
 
いよいよ来週、第49回衆議院議員総選挙。
 
 
 
仕事なので、投票した候補の事務所の開票所には行けない(TV中継や裏方の動きなどものすごく勉強になるんだけどな~~)のが残念ですが、テレビで見守ることにします。

実は、一番書きたかった内容かもしれません。

 

昨日に引き続き、パラリンピック閉会式の話をさせてください。

 

 

東京2020パラリンピックの閉会式。

 

閉会式のキャスト(ボランティアスタッフ?)は、衣装にあったマスクをつけていた。各国選手を促して、ミラーのモニュメントに促す。

 

 

 

 

 

 

 

 

このミラーの意味は、ミラーを覗くと選手自身の輝く姿が映し出される。それを貼ることで、東京の街を輝かせる光を生み出すというもの。
 
感動のあまり写真をあげまくってしまいました。
 
 
コロナ禍で多くの人が日常的にマスクをして、表情が見えにくくなったという人もいる。
 
クラスターが発生した某保育園では、マスクをせず表情や口元が見えるようにしている。そうしないと子供の発達に支障をきたす状況になると言っている。
 
 
 
 
だが、パラリンピック閉会式のボランティアスタッフ、もちろん選手団のみなさんも、すっごく笑顔なのは伝わってきた。
 
 
 
マスクで口元は隠されているかも知れないけど、全身で喜びを表現し、口元以外でも感情は表現できる。
 
 
 
オリンピック・パラリンピック期間中もそう言えばそうだった。
 
 
競技中は選手はマスクをしていないので口元も見えるし表情も感じ取れる
 
試合後のインタビューではマスクをしているんですどんな表情か、今どんな気持ちでいるかは多くの人が読み取れたのではないだろうか。
 
 
目は口ほどに物を言う という素敵なことわざが日本にはある。
 
 
 
 
東京2020パラリンピック閉会式で、式のスタッフが全身で表現したのは、8年前の世界中の人との約束であった
 
 
 
OMOTENASHI
 
 
 
そして、それに答えるかのように、映し出された
 
 
ARIGATO
 
 
の言葉。
 
 
 
8年前、オリンピック・パラリンピック招致で僕はどちらかというと斜に構えていた。
 
それは、真海ちゃんのスピーチが原因でもあるのだが、『日本人がおもてなしの心って・・・』と思っていた。
 
 
 
日本はコロナ禍で、声の大きな人たちは抜きにするとして、このパラリンピックを通じて、日本の「OMOTENASHI」を感じてくれたのではないだろうか。
 
 
それは、IPCのパーソンズ会長のスピーチが答えと言えるでしょう。
 
 
 
 
今回、パラリンピック競技で自分はとにかく泣きまくった。
 
実の妹の競技では涙を流さなかったのに、他競技で号泣するという・・・。
 
 
 
 
それは、努力を重ねて何かしらのカタチで報われた時の喜びにすごく共感するからだと気づいた。
 
アスリートと比べて、自分なんかの努力なんてちっぽけなものかも知れないけど、努力の果ての笑顔の輝きは、自分自身でも自覚している。何かを達成した時の達成感最高の笑顔
 
その、笑顔という感情を知っているから、他人の笑顔も感じ取ることができる。
 
 
 
 
 
 
新型コロナウイルスは、人々の対人関係から「口元」を奪った。
 
 
 
でも、だからといってお互いの感情、尊重する心、称賛する心がなくなるわけではない
 
 
人の笑顔がわかるためには、自分が笑顔でいなければならない。
 
 
自分が応援されたいというのなら、他の人のことを応援できる人にならないといけない
 
 
 
ほめて欲しければ、相手をほめてあげられる人にならないといけない
 
 
 
そういう、アフターコロナの人間関係のあり方を、実はマスクの存在が示してくれているのではないだろうか
 
 
 
 
 
 
コロナ禍も1年半が過ぎ、ずっとマスクをしてて人と人とのつながりが希薄になったと思っていたけど、実は新たな一歩のために必要な制約だったのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
8年前、世界中に対し、OMOTENASHIを誓った日本
 
 
そしてその8年後、世界中からARIGATOという最高の賛辞を受けた日本
 
 
 
 
パラリンピック閉会式は、みんなが主役だった。
 
 
人種も、国籍も、障がいも関係ない
 
 
 
オリンピック・パラリンピックは、選手村に隔離された世界のトップアスリートだけで行われた物語じゃない。
 
 
 
 
多くのキャストで作り上げた世界最大級のスポーツの祭典。
 
 
 
 
 
パラリンピックのスタッフのように、多くの人と笑顔で接して、OMOTENASHIができ、何かに対しARIGATOと言える人間になりたいものです。
 
 
 
それが、アフターコロナ社会で目指すべき人間関係なのかも知れない。
コロナ禍での、東京2020パラリンピックの閉会式が終わりましたね。
 
そして、オリンピックも含めたすべての行事が終わりました。
 
 
 
 
 
開催地東京に、新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が出された状態で開催されたオリンピック・パラリンピック。
 
 
こんな状態なら、去年のほうがまだマシだった
 
 
いやいや、違う。
 
 
 
この1年の延期には意味があった。そう思っています。
 
 
 
 
SARS-CoV-2という新しいウイルス感染症に直面し、2020年に予定された東京オリンピックには復興オリンピックだけでなくコロナ禍でのオリパラ開催という難題が突きつけられた。
 
 
コロナ禍でいかに、この世界最大級のスポーツの祭典を開催するか。
 
 
それは文字通り、コロナ禍での感染対策を行った上での、世界中から各国選抜のアスリートを開催地である東京に集めて競技をすることになる。
 
 
 
では、適切な感染対策とは何か。
 
 
 
 
後出しジャンケン的だが、自分にはワクチンしか思いつかない。
 
 
 
他にある方はコメントで教えて下さい。
 
 
その準備に、1年かかったと言える。
 
 
 
 
また、万が一感染した時の治療について。
 
 
 
この1年で、SARS-CoV-2の治療成績は抜群に良くなった。
 
 
 
人工呼吸器管理に行く前に、NHFによる治療成績や治療薬の使い方、感染者の全身管理経験により、治療成績はあがってきている
 
 
 
そしてもう一つ。それが、一般国民のオンライン慣れである。
 
 
 
 
この1年、コロナ禍でのStay home生活で国民はインターネット配信での映像コンテンツを視聴することにかなり慣れたと思う。
 
 
これは、オンラインパブリックビューイングを企画して強く実感した。
 
 
 
これ、1年前だと受け入れられなかっただろうな・・・。
 
 
 
それにより、無観客による試合の開催が可能となった。
 
 
世界中からアスリートを呼び寄せる以上、そこからの感染は避けなければならない。
 
 
そうなると、完全なる隔離、接触を断つ必要がある。そのためには、オンライン観戦してもらうのが一つの方法だろう。
 
 
 
これに慣れるための、1年だったのではないだろうか。
 
 
<short summary>
1年延期の意味:ワクチンの開発と人々のオンラインへの慣れ。
 
 
 
 
メディアではさんざん批判される中、オリンピックは開催された。
 
 
パラリンピックは、ワンチャン無観客でも家族チケットは取れるんじゃないか?と淡い期待をしていたが、それどころか雲行きは『パラリンピック開催の判断は、オリンピックの観戦状況を見て判断』となった。
 
 
いや、有給とってんだけど(汗)
 
 
結論として、無観客での開催となり、家族の私情医療者としての立場とを天秤にかけ、後者を優先した。
 
最後の最後まで悔しい気持ちだった。
 
実の妹が、自国開催のパラリンピックに出場するのって、観に行きたいでしょ・・・。
 
 
 
そこが最大の葛藤だったが、泣く泣く職業倫理を優先させ、自分の役割を果たそうとオンラインパブリックビューイングを企画した。
 

 

 

 

 

この企画は、自分なりにコロナ禍での社会のカタチのうちの一つだと思っている。

 

 

コロナの影響で疎遠となり、人のつながりを感じにくくなってたが、むしろ5年ぶりだったりもっと久しぶりに再開できるきっかけになったり、一切の後ろめたさ感染に怯えることなく、当然ノーマスクでパラリンピックの観戦ができた。

 

 

Stay home遵守のため、いつも以上にパラリンピック競技を見る機会が多くなった。

 

 

 

オリンピックのときは、民放の動画配信サイトですべての競技が見れたが、パラではNHK一択だった。

 

 

こういうとき、NHKは優秀。

 

 

番組構成も良かった。なにより、アナウンサーはよく勉強しているし、コメントをしてくれる方もすごくアスリートを知ってくれている。

 

障がい者陸上の弊害について、『こういうところを社会で良くしていかないといけませんね』と、影響力のある人が呼びかけてくれるのは思わず涙がでた。

 

 

自分も、どちらかというともともと障がい者の認知機能分析や支援テクノロジーの開発の研究をしてはいたものの、妹が義足にならなければここまで目を向けることはなかったと思う。

 

 

 

この、東京2020も、アフターコロナ社会の社会実験だと思う。

 

 

 

 

選手村への完全隔離日々のPCRは今後のスタンダードにするにはコストが掛かりすぎだが、それくらい開催にはリスクを伴うと認識しての措置だと思う。

 

 

オリパラがコロナの感染拡大になったと言われているが、パラリンピック関連で新型コロナウイルスPCR陽性となったのは306人。

 

組織委員会などのまとめによると、東京オリパラ関連で来日した選手・関係者は7月1日から9月4日までに5万4214人、空港での検査で陽性が判明したのは54人、陽性率は0.1%だった。選手村や競技会場など大会の管轄下で行った99万3268件の検査ではtotal309人の感染が確認され、陽性率は0.03%だったという。

 

では、7月1日から9月4日まで日本でtotal何人の感染者が出たか。

 

761,296人でした

 

 

厚労省のサイトより算出。暇なのか、自分
 

 

ふーん、 309/761,296 か・・・

 

 

 

徹底した感染対策により、安全に行えたのではなかろうか・・・。

 

 

 

そして、このパラリンピックが世界中に与えた影響はどれほど大きいだろうか。

 

 

また詳しくは別の機会におもうぞんぶん書こうと思うが、パラリンピックに関しては日本人選手以外の海外選手でも、応援しちゃうし泣けた。男子車いすテニスシングルス3位決定戦はある意味ベストバウト(もちろん、一番は我らがエース国枝さんの試合。本当におめでとうございます。)。

 

 

そういう気づきも、パラリンピックの魅力。

 

 

 

 

パラリンピックこそが、オリンピリズムを感じさせ人間性を高める教育的なイベントと言えるのではないだろうか。

 

 

 

そして、このオリンピック・パラリンピックをコロナ禍の東京で開催できたというのはすごく意味のあることだと思う。

 

 

 

一つのケースとして、多くの財産を得られたのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてパラリンピックの閉会式。

 

 

 

 

 

たすきは3年後のパリへ。

 

 

 

 

 

パリの会場は、時差があるので日本が夜中なのに対してパリはまだ陽が高かった。

 

 

 

 

多くの観客が集まり、日本メディアでいうノーマスク

 

 

 

 

 

これの意味するものはなんだろうか。

 

 

 

 

この光景は、3年後の未来を見ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

それとも、パリはすでに、アフターコロナ社会の目処が立ち、あのような光景を徐々に取り戻せているのだろうか。

 

パラリンピック閉会式のパリ中継の光景が、どのようにして用意されたものかは知らないし、保険医療制度も違うし医療レベルや国民文化も違うので一概には言えないし単純比較はできないとは思うが、あの光景は何を示しているのだろうか

 

 

 

日本もさっさとアフターコロナにおいでと呼びかけているのだろうか

 

 

 

それとも、3年後の誓いを世界中に示したのだろうか

 

 

 

 

 

いずれにせよ、そんなに遠くない未来で、あの光景がきっとやってくることだろう。

 

 

 

 

 

言いたいことの主なものは前回の記事で書き尽くしたような気もするが、みなさんのアフターコロナもぜひ教えて下さい。

 
 

※本日の内容は、私個人的な考えです。

勤務先や所属団体の方針や考えとは一切関係ないことを予め断っておきます。

また、こういう思いは持ちつつも、職業倫理は遵守し社会生活を続けていくことは変わりないことをここで誓っておきます。

ここで述べる考え方は、私自身が受けてきた医学部教育(モデルコアカリキュラムに遵守)に、8年間の臨床経験をベースとした考えがもとになっております。職業倫理に乗っ取り、臨床・診療上知り得た情報や現状は判断の基準に多少影響していますが、一般公開されていない情報は伏せた上での論理展開になっている点もあります。その場合は、多少説明不足で論理飛躍になってる点もあるでしょうが予めご了承ください。

 

 

さまざまな自治体で、12歳以上の全年齢へのワクチン接種が始まり、自民党総裁選、総選挙の時期の目安、明日で東京パラリンピックが閉会するということで、そろそろアフターコロナ社会の到来の目処がつきつつあります。

 

 

 

 

 

えっ?どういうことかって??

 

 

 

 

では、逆に聞かせてください。

 

 

 

 

 

 

新型コロナ(SARS-CoV-2)はどうなったら収束しますか??

 

 

 

 

 

皆さんなりの考えを持った上で読み進めていただけると助かります。

 

 

 

 

この、新型コロナ騒動(?)は、一体いつまで続くのでしょうか。

 

 

 

いわゆる特効薬には期待できません。SARS-CoV-2はRNAウイルスであり、変異が多いからです。

DNAウイルスと比べて、そもそもRNAがいかに不安定化というのは、基礎医学(医学部2年生くらいで習う)を学んだ人ならわかるので、周りの医学生に聞いてください。←専門家である必要はありません

 

あの、インフルエンザの特効薬と言われているオセルタミビル(商品名:タミフル)や夜間外来の味方(?)であるラニナミビル(商品名:イナビル)、医学を学んだ者とにとってまさに理論が実臨床に応用された夢の薬であるバロキサビル(商品名:ゾフルーザ)でこそ薬の開発が進んでいますが、みんな大好き?タミフルですら手応え的には熱が下がるのが1−2日早くなる程度(自分が感染した時もそうでした)。インフルエンザの治療薬ですらこのような現状であり、みなさんがコロナの特効薬と言って期待する効果はどのようなものでしょうか?

 

 

というわけで、特効薬の開発による収束に期待するのは現実的ではないでしょう。

 

 

そもそも、人類が何かしらの感染症を撲滅したことがあるのか・・・。

 

 

 

天然痘がそれにあたります

 

 

 

そう、人類もやればできるじゃん

 

 

その撲滅宣言に大きく貢献したものの一つにワクチンがあります。

人類が初めて開発したワクチンである感染症に対し撲滅宣言が出されたというのは、少しは希望があるかも知れません

 

 

 

だが、それ止まり。

 

 

他にも、ワクチンでかなり抑えられている感染症は多いです。しかし、天然痘のように撲滅宣言にまでは至っておりません。

 

 

 

麻疹、いわゆるはしかはその中の一つですが、残念ながら先進国の中で日本の感染数が多いことで知られています。

 

その要因はいろいろ言われていますが、その一つがワクチン

 

 

日本は、ワクチンの接種に関して空白の世代が存在し、しっかり効果を発揮すると言われているように全員が全員接種しているわけではない。

 

 

 

 

日本はワクチン後進国と言われている。

 

 

 

 

 

なので、SARS-CoV-2の収束=ワクチンの開発とすることは期待しないほうがいいかも知れません。

 

 

 

この、SARS-CoV-2の診断方法はPCRという遺伝子検査です。

 

 

感染症の考え方に、菌がいることとそれが悪さをすることとは違うという考え方があります。

 

よくあるのが、カビ=真菌です。血液検査では、カビを示す値が上がっていることもありますが、それはカビがいるという事実を示しているだけで、それが悪さをしているとは別レベルの問題なのです。日和見(ひよりみ)感染といいます。通常であれば、それが悪さをすることはないですが、免疫力が下がっているときなどにはそれが肺などの臓器に悪さをすることがあり治療の対象となります。

 

基本的に、ウイルスもこのような考え方で感染症として扱います(むしろウイルスの方がいるけど害なしな種類はある)。

 

 

PCR検査は、本来研究室レベルで行われる検査法であり、自分も経験ありますがその扱いには非常に神経をすり減らします。

 

検体採取もそうです。検査者は、居るのに居ないと誤る偽陰性を恐れます。それは、検査の過程でも起こりえますが、検体採取の際も起こりえます。はっきりウイルスを採取できないケースです。

 

医療職が採取する際も最大の神経をすり減らせるのに、検体採取を素人である一般の人が果たしてできるというのか疑わしいところです。

 

というわけで、大分県でも地産地消の抗原検査キットを配布しておりますが、そもそも採取検体が疑わしい時点で仮に陰性に出たとしても信頼していいのか難しい。

 

そんな一般抗原検査でも、毎日数例の陽性を拾い上げていると聞きます(大分市のHPで公開されています)。

 

もともとは外からの持ち込みだった県内のコロナウイルスも、かなり市中に蔓延していると言える。

 

 

 

このように、遺伝子検査までして診断をつけている感染症が収束するというのは、医療的収束を期待するというよりかは社会的収束を期待するほうが現実的です。極端なことをいうと、調べるのをやめるということ。極論ですが。まぁ、そうならないでしょうが。

 

 

 

世の中には、コロナは空気感染だ!認めろ!!という人もいますが、空気感染の感染症を診療できる医療施設が大分県にいくつあって、入院病床がいくつあるんでしょうか。

むしろ、現在の2類感染症から5類感染症にそのランクを落とすことが、新型コロナの扱いや医療機関での扱いを変えるきっかけになると思います。現在の新型コロナは2類感染症に指定されているので、普通に診療したり入院したりできず、その制約が医療現場や社会現場に負荷をかけているのは確かです。

 

 

 

じゃあ、どのタイミングでそう判断するのがいいのか。

 

 

 

特効薬の開発を待っていては、日本の経済が持ちません。

 

となるともはや、これは医療の問題ではなく社会の問題です。

 

 

自民党総裁選や総選挙のタイミングが本音かもしれませんが、そうしたら世論のブーイングが増すことでしょう。

 

 

東京オリンピック・パラリンピックが終わるタイミングも、同様の理由で考えにくい。

 

 

 

 

なにか客観的な指標で、明確な線引きができそうなモノサシはないのか。

 

 

 

 

 

それが、ワクチン接種率だと考えています。

 

 

 

 

これだと、パーセンテージで線を引くことができるでしょう。どのラインにするかは抜きにして。

 

 

 

 

そういう思いもあり、自分は新型コロナウイルスのワクチンを打たせていただきました。

 

 

 

 

 

SARS-CoV-2は、なくなりませんが、数多くの制限が解除された中の社会を見越して国は「新しい生活様式」というキーワードをかかげてきました。

 

世間的にも、アフターコロナあるいはウィズコロナなどと言われ、なんか分からんけど前とは違う社会になるよねという風潮があります。

 

 

 

自分が今手掛けているハイブリッドセミナーの技術も、一度オンラインで研鑽を積むメリット(オンラインでもできる)を知った人が、オフライン・オンラインそれぞれのメリット・デメリットからセミナーへの参加様式を選べる時代が来てほしいと願ってすすめております。

 

 

コロナと共にある社会。それは、感染対策と同義であります。

 

 

 

どうすれば感染しないか。どういう工夫をすれば、感染対策と社会活動の両立ができるのか

 

 

 

 

 

多くの人が、その手法を模索していると思います。

 

 

この感染対策はあってるの?

 

 

公共交通機関の利用の仕方は?

 

 

 

飲食店ではどうすればいい??

 

 

イベントは???

 

 

 

それぞれが、答えの見えないものを模索している。

 

 

 

ここは、言葉は悪いかも知れませんがトライアンドエラーだと思います。

 

 

 

この方法でやってみた。合ってるかな?この方法で感染してない?じゃあ健康観察。

 

 

2週間たったけど、なんともないや。だったら、合ってるのかも知れない。

 

 

 

 

その、経験の蓄積が今、必要。

 

 

 

 

 

 

現在、新型コロナ感染は第5波と言われている。

 

この時期に該当することとして、日本ではの風習と東京オリンピックがあった。

 

 

国は、緊急事態宣言下で東京オリンピックを開催した。

 

それに関しては、多くの賛否が言われた。

 

東京オリンピックは、海外からの選手に対しても非常に厳格な感染対策の中で行われた。

 

ある意味、選手村は隔離施設としてよく機能していたし、関係者には連日のPCRというこれでもかという対策が取られた。

 

 

 

その結果、期間中453症例を拾い上げた。

 

 

 

この緊急事態宣言下のオリンピックは社会からはブーイングを呼んだ。

 

しかし、果たしてオリンピックで来日した人から一般人への感染拡大はあったのだろうか。

 

確かに、453人分のコロナ対策に医療が取られたという意見もあるだろうが、その期間の日本の感染者数は桁違いであり、それらはオリンピック関連の持ち込みではないだろう。

 

 

オリンピックやってるのに自粛に応じられない」「オリンピックもいいんだから宴会いいよね」は、違うと思う。

 

その飲み会は、オリンピックと同じくらいの準備の元で企画されたもので、同じくらいの社会的効果をもたらすものなのか?

 

まぁそれは言い過ぎにしても、会前後の健康観察や検査をするのか?と問いたい。

 

 

このコロナ禍で、厳しい感染蔓延状況下で自分は、今年2回も沖縄の学会に出張した。

 

 

 

 

 

もちろん、自分なりの感染対策を行い、前後2週間の完全なる健康観察をした。

今だから言えるが、大分に帰ってきてからの2週間はかなりきつかった。職場で一切マスクを取らないという制約を自分に課したため、昼食どころかお茶を飲むことすらできなかった。毎朝、1L近く水をがぶ飲みしてから出勤していた。当然、毎日熱型表はつけた。

 

せめて、それくらいしろよと思うわけです。

 

今でも、感染拡大地域で勤務しているため、念には念をと職場での食事は控えている。

 

 

もちろん、自分が勝手にやってるだけでそれが正しいとは100%言えないかも知れないが、こういう生活でも感染したとしたら仕方ないよねと自分自身を納得させられるわけです。

 

これはやりすぎかも知れないけど、「これやってみて大丈夫だったら、この対策はあってるんだろう」というトライアンドエラーを日々繰り返し、アフターコロナの社会を模索しています。

 

 

 

ニュースで、コロナ禍での音楽フェスが炎上しています。

 

飲酒を控えるとか、マスクしなくていいとか、その対策の答えは正直わかりませんが、少なくとも以前のような社会に戻らないというのはなんとなくわかってるのではないでしょうか?だとしたらせめて、その試行錯誤を見せて欲しい。

 

 

とある国では、音楽イベントをワクチン接種後の観客や、イベント後の健康観察を義務付けるといったことをやって少しずつアフターコロナの社会を構築しています。

 

 

音楽イベントでも、アーティストと観客の我慢比べと煽ってコロナ禍でのイベントをやっている団体もある。

 

 

 

 

この動画は、今回騒動を受けて、ニュースを取り扱っているとあるYouTuberがキッカケで見てみた動画ですが、こういう模索をみんなでやって、アフターコロナの社会を作っていくんだと思う。

 

 

これも、やってる人とやってない人がいるのが、時にメンタルを大きく削いでくる。

 

 

 

 

 

広くワクチン接種ができる様になりつつある段階だからこそ、反ワクチン活動も活発になり、様々な情報が錯綜しています。

 

 

コロナインフォデミック第2波でしょうか。

 

 

時の菅総理は、次の自民党総裁選には出馬しないと明言しました。

 

任期満了での、次期総裁選不出馬なので、途中で投げ出したわけでもなければ無責任にやめるわけでもない。

 

 

僕は別に、自民支持者ではありませんが、それでも医療者の立場としてはワクチンが打てたことを感謝している(あと勤務地の市長と病院長にも)。

 

 

ワクチンに反対するのは個人の価値観であり、判断なので強制はできるものではないと思います。

 

 

ですが、とあるイベントの参加条件が「ワクチン接種後」という条件をつけるとか、ワクチンパスポートに対して批判するというのは違うと思います。イベント主催者はコロナ対策の条件としてワクチンの効果を期待しており、そういうアフターコロナの社会を見越してイベントを開催しているのだから、そういうイベントが増えてくるのもいい傾向だとむしろ思います。

 

ワクチンの効果に関しては、最初に述べた通り言えることと言えないことがありますが、結果から言うと打ってよかったと思っていまし、効果はあります(あとは察してください)。

 

 

我々医療者は、患者がワクチン反対派だろうが接種した人だろうが、いざ感染したときの医療的ケアに関して差ができることはありませんし、ありがたいことにたとえ個人的価値観でワクチンを接種していない人でも、PCR陽性となって新型コロナ感染者とされた場合は等しく必要で可能な医療ケアを受けることができます

 

 

入院してきても、(感染対策を行った上でですが)患者のケアにあたることができるのは、リスクを背負いながらもワクチンを打ち終わった者としての使命感です。

 

 

明日で、東京パラリンピックが閉会します。

 

その後は、自民党総裁選と総選挙。

 

 

新型コロナの対策はもはや医療というよりかは政治の問題と言えるでしょう。

 

 

 

未だに、大分県は知事が有効なコロナ感染対策を打ち出さずに九州唯一の緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も出されていない

 

 

 

↑九州唯一の白!!

 

連日の感染状況をみて、県は緊急事態では!?と、県境の中津市は連日厳しい状況にありながらも、緊急事態宣言もしくはまん延防止等重点措置を出してほしいという意見書を議会に提出(政治が正しく機能している証拠)されたそうですが、反対されたそうです。

 

 

 

そうか、そういうことなんですね。

 

 

 

 

 

この結果や、措置が吉と出るか凶と出るか。

 

 

でも、被害を受けるのは目の敵にされている飲食業であり、負担を負うのは医療者なんだよなぁ〜〜

 

 

 

 

まぁ、年内にはなんとか変化が訪れるでしょう。

大学2年の春、何か新しいことをはじめようと空手をはじめた。

 

もともと運動が嫌いだった自分だが、当時自宅に洗濯機がなく中学時代の友人が高校でウェイトリフティングをしていて、夜の練習に付き添うついでに部室の洗濯機を使わせてもらっていて、その時ついでにいろんな筋トレをしたりしていた。

ずっと運動が苦手だった自分(高校の頃の体育祭の記憶が全くありません←昼休みに科学部の部室で数学の問題集解いてた気がする)だが、初めて懸垂や二重跳びができるようになり、体を動かすことが楽しくなった。

 

体育会の部活説明会で、五十音順に部活が並んでいて合気道部に声をかけられたその隣の空手道部に半ば拉致気味に見学に行くことになった。

 

そこから、空手道部に入部し、段位を取得。体育会局員(次期体育会役員候補)まで務め、先輩は僕が何かしらの役員になることを期待していたのだと思う。

だが、突然の大学院飛び入学のための退学・・・。幹部引退。

 

そこから、空手道部の監督を務めることとなった。

 

自分が、誰かのために何かをやることの基礎を学んだのは空手道部の幹部の経験からくる。

さらに、若いうちに監督をして社会にもまれたことで、目上の人との接し方や宴席での身の振る舞い方、部を背負った人脈の作り方などを学ばせていただいた。

 

大学では剛柔流であったが、大学院のある北九州学術研究都市空手道部は日本空手松涛連盟という流派だったので、そこで松涛連盟と出会った。

 

東京に行ったときは、様々な選択肢があったが、直近で習っていたこともあり松涛連盟の総本部道場で鍛錬を積んだ。

 

そこは、空手強豪校の指導者が多く所属しており、また、大分にいたころは憧れで遠い存在でしかなかった世界クラスの選手が普通に練習していた。同世代ということもあり親しくなり、全日本トップの強豪校が、地方国立大学の空手道部の練習や部活の在り方について自分の悩みを聞いてくれ、考えてくれるという何ともありがたいことが起きた。

 

 

 

憧れとか夢って、手を伸ばせば案外届くところにあるんだということを経験した。

 

 

 

だから、手を伸ばそう

 

 

北九州・東京にいる間も、大分の空手道部監督は続けており、公式の試合監督や公式の行事はすべて出席できていた。

これは、すごい自慢である(受け取り方によっては自己犠牲という人もいますが)。

 

 

空手をすることで、様々な人生に必要なことを学んだ。

 

生き方そのもの、押忍の精神。基礎を大切にする考え方。

 

空手の道場に通っている人はわかると思うが、道場は基本の練習が多い。

突きの基本、立ち方の基本。

 

オリンピックで一世を風靡したなんて、そうやすやすと教えてもらえないものだ。

 

試合形式の組手なんて、組手の防具をつける機会なんてほとんどない。

 

イケイケドンドンだったころは、毎日道場練していた(大学院は??・・・)。

 

基本の練習は、しっかりやるとそれなりにキツイ。キツイわりに、新しい技を覚えるわけでもなく、試合で勝てるコツが身につくわけでもない。

 

監督の縁で、2007年USオープンにエントリーさせていただいたことがあった。

 

当時の参加記録

(マジで、恥ずかしい記録って残ってるもんだな・・・)

 

道場では基礎練ばかりだったので、東京だからこそ参加できる組手セミナーとかにも参加していた

(まるで誰かさんのようにテクニックや最新の練習もどきに走る・・・?

 

 

ちなみに、九州のご縁で何度もセミナーに参加させていただいた西村誠司氏は、東京オリンピック空手の日本代表の西村拳選手の父親であり、何度かセミナーでも一緒になっていた。ほんと、イケメンになって・・・。

 

 

 

だが実際、そのような付け焼刃で試合に勝てるようなことはなかった。

本来であれば表彰台も見えた区大会でも、肝心なところでぼろができて優勝できなかった(それでも3位で人生初のメダルはゲットできた)。

 

組手の試合は、寸止め空手ではポイント制。だが、その評価の指標には極めという概念がある。適切な間合い、適切なタイミング、充分な残心・・・。それらの項目を鍛えるのに重要なのは、地味でキツイ基礎練習だった。

 

 

東京大学大学院福祉工学研究室博士課程に通う自分なら、運動工学や力学的な何かを駆使して最新の科学に基づいたトレーニングを!!とか考えたいところだが、逆に自分の研究室が、脳の可塑性や認知科学などを扱っていたことから、人間の生体生理は今の科学では解明できないファジーな部分があるということを痛感していた(そのせいで、研究を断念した)。

 

おそらく、昔からの空手道の鍛錬法は、一見非合理的に思えるかもしれないが、今の科学では解明できない人の体の特性に合った方法論を経験的に習得しており、それを代々教えられてきたのではないかと推測する

 

 

 

というわけで、自分は空手道の練習において基礎練習を重視する。

 

基本的な突きの練習をして極めや残心がわからないうちに、ボクササイズ的な組手練習をしてもしょうがない。

 

約束組手や五本組手をしてようやく自分の技の間合いがわかるようになるので、その前にミーハー気分で組手練習をするべきではないと思っている。

 

 

 

 

だが、このことを若い後輩たちに理解してもらうには難しく、やっぱかっこいい高速上段突きやサソリ蹴りといった派手で映える技の練習をしたいよね・・・・

 

 

だいぶ、若い後輩たちとのを感じつつある今日この頃。

 

 

 

さて、紆余曲折を経て、東京オリンピックで空手が正式にオリンピック競技として参入した。

 

 

武道のオリンピック競技化といえば、柔道→JUDOとなってしまった経緯があるが、空手はどうだろうか。

 

 

 

実は、空手も例外ではない。

 

オリンピックに向けたルール改正。その一部は、一般受けしやすく分かりやすさを狙ったものかもしれない。より戦略性が上がる「先取」のルール、ビデオレビューの導入。さらに、突き技はいくら決まっても1ポイントしかならないが、上段への蹴り技は3ポイントで、その技のバリエーションも増えてきた。サソリ蹴りなんかその最たるもので、なんかアクロバティックで見栄えがいい。

 

懇親の技でも1ポイントにしかならない技と、映える技だったら後者を多用するケースが多くなるのは目に見えている。

それが妙に納得できなかったり。

 

 

また、(当然だが)オリンピック競技となってから、あるいはその少し前から 空手界全体が広報に力を入れだした。

 

 

正直、複雑な気分だった。

 

空手がオリンピックになるそのずっと前から、競技人口を増やそうと草の根で活動している人が大勢いた。自分もそのうちの一人だと自負している。SNSでの動画投稿が一般化してからは、試合のLive配信みたいなこともFbやTwitterでやっていた。

実は昔からライブ配信してたんだね、自分。

 

やはり大手広告代理店や、競技連盟の力にはかなわないのか・・・

 

 

今の世代の選手に多くスポットライトが当たる中、過去にもっとスポットライト当たるべき先輩はごまんといる

 

同世代の永木伸児選手、二瓶卓郎選手(この世代の帝京チームが好き)、全日本で何度も死闘を繰り広げた松久功選手。

 

強化合宿で、対峙した相手が実はすごい選手であることも知らずにボコボコにされた古川哲也選手(形)。

 

この世代からして、伝説の空手家といえば帝京の松崎沢宣選手

 

 

 

 

とか言ってたら、香川師範の組手の映像がYouTubeにあったが、迫力が違った。

 

 

 

しかもこの試合の審判を故浅井哲彦首席師範がされているのが非常に感慨深い。

 

最後に自分にかけてくださった言葉

 

 

道を誤まらないでいてください

 

 

の言葉を、自分は守れているのだろうか。

 

->告別式の時のブログ

 

※どうでもいいけど、この頃の自分のブログって完全な黒歴史じゃね!?

 

 

 

 

どんな偉大な選手でも、時代の波には逆らえないというのか。

 

そもそも、選手であるプレーヤーと、空手道自体を普及させる活動をするプロデューサーとは分けるべきで、それをプレーヤーに求めるのは酷である。

 

 

いずれにせよ、時の流れが味方した空手業界には良くも悪くも世間の目が集まることとなった。

 

 

 

 

火中の、パワハラ問題には僕がここで触れることではないと思うので何も言いません。

 

 

 

結局は、柔道がJUDOになったように、空手道がKARATE-DOになった感がぬぐえなかった。

 

 

 

何度となく見てきた日本武道館での空手の試合。出場選手も、今の世代では常連の見慣れた選手。

 

だけど、どこかしら緊張感が走り、特別感が伝わってきたのはオリンピックゆえなのかはわからない。

 

 

 

コロナの影響など様々な要素もあるだろうが、日本選手団は予想していたほどの大躍進ではなく、むしろ意地でメダルをもぎ取った感の強い試合結果だった。

 

 

ニュースになっただけに、結果を出したかっただろうに、いろいろあったけどとても悔しい思いがあった。

 

 

試合後のインタビューで、負けた宮原選手が「香川師範にならった空手で世界を取りたい」と言った時は涙が出てきた。

 

 

ググればわかることだが、僕も大変お世話になって今でもお世話になっている(医師国家試験合格のお祝いまでいただいた)香川師範は、ワイドショーを騒がせたパワハラ問題で、東京五輪強化委員長を解任されることとなった。しったかぶりのコメンテーターが竹刀を使った練習は前時代的だ、とか好き勝手いうメディアの雑音は、空手を愛する自分にとってもすごく悔しかった。

悔しい思いをばねに、それ以降も自分は後輩の練習時に竹刀を使ってましたけどね。

 

 

 

試合後、日刊スポーツにコメントを出していたが、オリンピック直前のいざこざが影響ゼロとはいい難い状況で、それをはねのけて結果を残したかった選手の気持ちもすごく伝わってくるので何とも言えない感情になった。

 

 

 

 

 

次のパリでは空手道はオリンピック競技から外れることが決定している。

 

 

1度限りのオリンピック。

 

 

だが、これ以上にないくらいの宣伝効果はあったと思う

 

 

喜友名選手(九州学連出身なんですよ、彼!当時から貫禄ありましたけどね)の気迫、清水選手の美しさは多くの国民を魅了したと思う。

 

ハラスメントが毛嫌いされる世の中、賛否あると思うが自分の周りにも子供に空手を習わせようという声をちらほら聞く。

 

 

いざどこでやるかというと、組織同士のいざこざや汚い社会の裏を見せられることもある(自分はそういうのに関与しないように、ただの医師として大会医はやっているつもりです)が、それでもちゃんとしたところでちゃんとならえば、身につくものが多くある空手道。

 

 

極端なこと言うと、空手をやっていなかったら自分は東京に行くこともなかっただろう(挑戦)し、大分に帰って医師になることもなかった(努力)し、続けられなかった(継続)と思う。

 

 

 

こう見えて、自分みたいな人が出てきてほしいわけですよ。

 

 

 

 

オリンピックが終わり、KARATE-DOからは、おさらば。

 

 

 

 

まだまだコロナも収まらず、スポーツ教室クラスターも発生しており練習環境は厳しい時期が続いていますが、これも試練。

 

 

こういう状況だからこそ、こういう状況でもできる鍛錬がある。

 

 

 

多くの方に、この空手道精神が広がってくれるとうれしいです。

 

 

 

長くてよく分からないブログになってしまいました。ごめんなさい・・・