「なんで?」と「そうなんだ」~全力で引き受ける覚悟~ | 全国クリエイター作品の展示と販売 ARCA-方舟-gallery & zakka

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私はいつも理不尽なことが起こったり、嫌なことを言ってくる人と遭遇したり、自分の思う通りに動かない人に対して

「なぜ?」と頭の中で問うていたように思います。

 

前の投稿で

 

「なぜ?と問うのをやめる」と宣言したのは

 

なぜ?と思った時点で波動が下がるから。

 

いわゆる、問題を投げかけてくる人、というのはその人の問題であって私の問題ではない。

 

結婚した当初、教会内で起こる人間関係に「なんで?なんで?」と夫に聞いていたことがあります。

 

夫は「関係ないやん。それはその人の問題やろ」と言っていたのですが、まさにその通りで、その人の問題であって私の問題ではないのです。

 

そのことにようやく気が付けた。

 

悩んだりすることは何もない。その人の「問題」で、私の問題ではない。

 

もし、その相手とかかわらない選択ができる場合、例えば職場の人であったり、他人の場合、かかわらない選択をすればいいだけのこと。

 

その相手が家族である場合でも、私は自分には理解できないことを相手がしていた場合「そうなんだ~」といったん引き受けることにしています。

 

例えばオットが、甘いものを夜中に食べてしまう。痩せた方がいいけどその努力をしない。

 

そういう場合もいったん「そうなんだ。そうしたいんだ」と引き受ける。

でもあまりに度が過ぎる場合は「やめたほうがいいよ、血糖値が上がるよ」と脅しの一言を言う。でもやめるのもやめないのも本人の問題なのでそれ以上は突っ込まない。それ以上突っ込んでもいいことは何もないので、自分の身を護るためにあえて突っ込まない。痛い目にあうと自分でやっぱりやめなきゃと思うでしょう。それもまたその人の課題であって、そういう自分を持て余しながら学んでいくスタイルなのだから、周りがとやかく言うだけ損なのです。というか、その人の課題を奪う行為をしてはいけないと思うのです。

 

人はそれぞれ、学ぶべきものを抱えているのではないでしょうか。

 

そこをあえて突っ込んでいい場合と、突っ込んではいけない場合と2パターンあると思うんですよね。

 

突っ込んでいい場合は、

 

相手がどうしようもなく倒れている時。

 

あえいでいる時。

 

助けを求めている時だけです。

 

あとは、「そうなんだ」とスルーして、自分の課題をこなす。

 

自分のことがわからない人ほど、他人のことに首を突っ込むような気がします。私がそうだったから。

 

自分のことって意外と適当にしてたり、自分さえ我慢すればいいんだと思ってたり、自分なんて・・・とさげすんでいたりするんですよね。

 

そういう時ほど、他人の言動が気になる。

 

なんで?なんで?と聞きたくなる。

こうすればもっといいのに。

 

私も夫にすごく言ってました。「こうすればいいのに。」

そのたびに夫に

「じゃあ、アンタがすれば」と冷たく言われてたな~。

 

ほんとにおせっかいだったと反省です。

 

他人は他人、自分は自分。

その線引きをするのに最適な言葉が

 

「そうなんだ~」です。

 

冷たいようですが、他人の学びを、自分が請け負うことはできないのだから。

そうなんだね、といったん引き受けることが相手を尊重し、また自分の身を護るためにも、大事なのではないかと思います。

 

そうなんだ、といったん引き受けることで、次の策を講じられるのもまた面白いですよね。

 

相手が本当に倒れた時、手を差し伸べられるような人間になっておきたい。

その覚悟があるのが「そうなんだ」と引き受けることができる人なんだと思います。

私もそうなりたい。そうでありたい。

 

だから、今日も夫に「そうなんだ~(でも、あなたが倒れたら私は全力で守るからね)」と言うのです。