神戸 JR/阪神元町駅 東口 セブンイレブン出口から山側 サンセット通り西向きに徒歩1分
古いビルの2階 隠れ家のようなお店 雑貨アトリエシード&ギャラリーARCA 西田です^^
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常々思うのですが・・・
世の中にあるものは、人間も動物も、もちろんモノもいつかなくなってまた新たに造られ・・・という繰り返しの中にいます。
なので目に見えるモノやコトに執着しこだわったとしても、自分がいなくなってしまえば意味のないことで、私の中にいつもあるのはそういったいつか自分はいなくなるのだから・・・という感覚なんです。
それはおそらく被造物すべてが担う宿命というか運命で、いつか自分はいなくなる。そんな宿命を担って、またそこを理解して生かされている存在が「人間」であることをいつも頭のどこかにはあるんですよね。
とても弱い存在であること・・・
キリスト教では「罪」と訳しましたが、教徒の方に叱られるのを覚悟で申し上げますと、「罪」ではなく「弱さ」と理解していた方がよい、と最近思いました。
誰しも「弱さ」がある。
それは自分の生き死にすらも、自分で選ぶことのできない「弱さ」です。
どんなに賢い人でも、どんなに頭脳明晰な方でも、お金持ちでも、地位のある人でも、
自分で「生き死に」を選んでいるわけではありません。
そこに、大いなる存在、人の生き死にを決定する何かとてつもなく大きな存在を感じること。
それが、人をおごり高ぶらせず、謙虚に物事を見つめる「英知」を養わせるのではないでしょうか。
MAJOさんのインスタグラムの記事の中に
「野の君が自覚もなく、野原を草原をそして森を作っていくように
何か特別なことを行うのではなく、
すでにみんながそれぞれにすべてをもう持っていて、
それがその時々の状況や環境で活かされていく、というだけのことなのかもしれません。」
とあります。
生き物は、その、あるがままの姿で役割があり、その生きざまでその使命を担っている。
それは人間も同じで、ああしたかった、こうしたかった、でも今の自分は納得できない・・・と思うこともあるかもしれませんが、
もし今やっていることが難なく続けることができるとしたら、自分の無意識の中での「希望」であり、「願い」であったと思うことができると思うのです。
なぜなら、例えば、無理やり自分とは違う世界で背伸びをして入った学校、職場、結婚であったとしたら、やっぱり続かなくなってやめてしまうのが関の山ではないでしょうか。
自分にとって居心地がいい、難なく続けられるものというのは、案外自分の中で無意識での「希望」「願い」だったのではないか。
そのように考え方を変えていくと、自分の得意、好きなことが案外今の仕事なり生活に役立っていて、実は、本当に願ったのはこの仕事だったのか、この生活だったのか・・・と気が付いていく。
そんな状況や環境の中、ただただ生かされていく時、自分自身の役割が理解できるようになる。
キリスト教では、そのことを「神から自分を受け取る」と訳しました。
それは本当にその通りで、生き死にすら自分で選ぶことができない「弱さ」のあるままで、自分自身を創造主から受け取っていく。
その時、自分の本当の役割(生きる意味)を見出していくのではないかと思います。
MAJOさんと私は、生まれた環境も育った環境もまったく違い、ただただ作品を通して知り合いました。
でも、作品のお取り扱いの中でこれほど安心して販売させていただけること、また作品を通してその根底にある「想い」を自然に代弁させていただけることに自分でも驚きです。
それは、もしかしたら、そこに到達する道は無数にあれど、真実というのはやはりたった一つしかないということなのかもしれません。
自分の中で「こうではないかな・・・?」と自問自答していった時、MAJOさんの作品が「こうです」と言ってくれる。
その繰り返しの中で、「そうだよね、こう思うのは自分一人ではなかった・・・」と認識していく。
出会いとは不思議なもので、大阪の関西つうしんさんで作品に出会った時に、お声かけさせていただいてホントによかったなぁ~・・・と思ったりしています。っていうか、あの時まだ垂水の小さなお店でもあったのに、快くお受けいただいたMAJOさんに、ただただ感謝しかありません。
そんなMAJOさんの個展、開催中です。
5月27日まで。
27日は12:00~16:30ぐらいまで在廊されます。
ぜひお立ち寄りくださいね。
全作品リストは、ネットショップの方でご覧いただけます。
ぜひ一度ご覧いただけたら嬉しいです。
MAJO個展
ARCO IRIS
5月27日まで (水曜定休日)
5月27日(個展最終日)12:00~16:30頃までMAJOさん、在廊されます。


