奥州藤原氏は、源頼朝に攻められて、滅亡しちゃったさ “さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、良いさ、朝から、お空には、青空が広がっちゃっているさ、・・でも、厚雲も、まあまあ浮かんじゃっているさ、・・でも、次第に、青空が広がっちゃったさ、一日中、良いお天気さ、・・今日は風チョコあるさ、暑くは無い風さ、・・そんで、今朝の室温は、27度と、まあまあ暑いの手前さ、・・日中は、お昼頃からは、チョコ暑くなっちゃったさ、でも、大分暑さ和らぎさ。

 そういえば、・・昨日の9月3日は、・・大好きな奥州藤原氏第四代当主の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)が、大好きな源頼朝の軍に攻められて、・・敗れちゃって、・・大好きな奥州藤原氏が滅亡しちゃった日さ、・・1189年のことさ、・・835年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、大好きな藤原泰衡と言っちゃったら、大好きな奥州で覇者の栄華を誇った、大好きな藤原四代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)の、・・末代のご当主さ、・・大好きな奥州藤原氏は、視野が広く、情勢を判断、自身の力量を見極めており、・・畏れ多くも大好きな朝廷、藤原摂関家に、・・大好きな砂金、馬などの献上品や貢物を欠かさず、・・大好きな朝廷に臣従しておられ、奥州17万騎と言われた強大な武力と、政治的中立的立場を旨としており、・・大好きな京都を舞台とした、源平合戦の最中にも、傍観されて、大好きな奥州での政権、文化を確立しておられたんさ。・・そんなんで、大好きな頼朝は、大好きな鎌倉の背後に、・・敵となるかもしれない、・・しかも、大好きな朝廷側と、誼を通ずる、強大な勢力の存在は、絶対に認められなかったんさ・・、・・そんで、・・それはそれとしたくないんだけんどさ、ひとまず、ふたまず、おいておいて・・、・・そんで、15年も、時間を遡っちゃった、1174年のことさ、・・大好きな京都鞍馬寺の義経15才は、・・さきちゃんの先祖の、ワンご家来のさき太郎を連れ、・・大好きな金売吉次(かねうりきちじ)に伴われ、・・大好きな三代藤原秀衡52才を頼りに、・・大好きな京都から、大好きな奥州平泉へ、大好きな日本海側の陸路を、830kmの長旅さ、・・そんで、大好きな藤原秀衡の庇護の下、・・毎日文武の修行さ、・・大好きな義経は、穏やかな日々を過ごされていたんだけんどさ、・・大好きな兄の頼朝33才は、・・1180年に、・・大好きな伊豆韮山(にらやま)で、・・畏れ多くも大好きな、後白河天皇の第三皇子以仁王(もちひとおう)の、・・大好きな平家打倒の令旨を受け呼応し、旗揚げ挙兵されちゃったんさ、・・そんで、大好きな義経は、さき太郎を連れちゃって、矢も盾もたまらず、大好きな富士川の戦いで勝利した頼朝の下へ馳せ参じさ、・・そんで、その後、・・長くなるんで、いっぱいいっぱい中略さ・・、・・いろいろあってさ・・、・・1187年には、大好きな頼朝、義経兄弟は、・・残念なことに・・、・・仲違いすることになっちゃったさ、・・そんで、大好きな頼朝に、大好きな京都を追われ、さき太郎を連れちゃって、大好きな日本海側の陸路を、北上しちゃって、・・大好きな最上川(もがみがわ)を遡り、2月には、二度目の大好きな平泉さ、・・大好きな秀衡は、・・大好きな頼朝の強力な軍事力を認めながらも、・・いざというときは、・・絶対、畏れ多くも大好きな朝廷側の裏支援を受け、・・大好きな義経を大将に立て、・・絶対大好きな奥州を護るさ・・、って言う強い決意で、大好きな義経を受け入れたんだと思うんさ、うれしいさ、・・然しながら・・、残念なことに、・・大好きな秀衡は、1187年10月に、65才でお亡くなりさ、・・その後、大好きな頼朝の脅しに屈しちゃった、後継の大好きな泰衡34才は、・・あろうことか、1189年4月に、大好きな義経の居る、大好きな高館義経堂(たかだちぎけいどう:衣河館(ころもがわのたち))を、襲っちゃったんさ、・・大好きな義経、さき太郎は、・・仕方なく・・、大好きな青森三厩(みんまや)から、・・大好きな北海道福島白神岬(しらかみみさき)へ、再起を決して、逃避、避難さ、・・大好きな泰衡は、・・大好きな義経打倒の最功労者としちゃって、・・大好きな頼朝に擦り寄り、お気に入りかと思っちゃったら、・・大好きな父秀衡の危惧通り・・、大好きな頼朝に攻められ残念なことさ、・・それも、・・大好きな頼朝の軍に、攻められて、・・逃走し、頼った、大好きな郎党には、裏切られ殺されて、・・残念ながらお首は、・・大好きな岩手の陣中の、大好きな頼朝の下さ、そんで、・・大好きなお首には、・・眉間に八寸の釘さ、死後も残酷な見せしめさ、・・残念なことさ、・・でも、・・唯一の救いは、大好きな近親者様が、・・大好きな中尊寺金色堂須弥壇(しゅみだん)の、大好きな秀衡の金棺内のおそばに、・・大好きな泰衡の首を、大好きな黒漆塗りの首桶に入れ、丁重に納められておられたんさ、・・うれしいさ、・・そんで、その後、・・761年も経っちゃった、1950年のことさ、・・大好きな泰衡の首桶から、約100粒の大好きな蓮の種が見つかり、・・大好きな大賀一郎(おおが)博士に、発芽、開花を託され・・、今では、大好きな中尊寺ハスと命名され、大好きな中尊寺の池に植えられ、・・毎年7~8月に、とっても綺麗なお花を咲かせてくれるんさ、・・うれしいさ、・・大好きな泰衡は、この世に、大いなる未練を残されたのかもさ・・、・・大好きな中尊寺ハスのお花を見ていると涙がこぼれ落ちるさ、・・このことは、大好きな吾妻鏡に、書かれちゃっていることなんだけんどさ、・・書かれちゃっていないことがあれば、・・さきちゃん家に伝わるワンワン鑑を見ちゃって欲しいさ、・・それにしちゃっても、大好きな北海道へ逃れちゃった、大好きな義経の安否が気になるさ・・、・・それにしちゃっても、大好きな岩手のお土産のごま摺り団子美味しすぎさ、・・大好きな上司へのお土産に最適さ。

 

 

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