秀吉の伏見城が倒壊した、慶長伏見地震の日さ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、まあさ、・・朝からお空には、薄雲、厚雲混在の、まあまあの雲で、覆われちゃっているさ、いつ雨が降っちゃっても、おかしく無いさ、・・でも、降りそうで、一日中、ぐーーっと我慢さ、・・一日中、薄雲厚雲で、覆われちゃった、チョコ薄暗い一日さ、今日も風チョコあるさ、そんで、今朝の室温は、28度と暖かいさ、日中も、雨がちのお天気なんで、風もチョコあるんで、暑いんだけんどさ、・・まあまあさ。

 そういえば今日は、大好きな京都で地震が発生し、大好きな豊臣秀吉の伏見城が倒壊しちゃった、慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)の日さ、・・1596年のことさ、428年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、・・大好きな伏見城は、なんと、三度に亘って築城されたという、・・数奇なお城なんさ、・・そんで、・・最初の伏見城は、1592年1月に、・・大好きな甥の秀次に、大好きな関白職を譲り渡し、・・大好きな京都御所西方1.2kmと近すぎる、1587年に完成した、大好きな聚楽第も、大好きな甥の秀次に、住まわせた後に、・・1592年8月に、大好きな豊臣秀吉の、ご隠居の住まいとするために、・・大好きな京都の南方9kmと、まあまあ大好きな京都御所などへ、すぐ駆けつけられ、南方眼下には、大好きな巨椋池(おぐらいけ)が広がり、・・とっても景観の良い地だった、大好きな伏見の地で、・・その後の、大好きな伏見桃山城の地の南西1.1kmの、大好きな桃山町泰長老(たいちようろう)海抜32mの地に、・・大好きな指月伏見城(しげつふしみじょう)を、建設されちゃたんさ、・・大好きな指月伏見城の南方2km先には、・・今は無い、大好きな海みたいに、巨大池の大好きな巨椋池(おぐらいけ)が広がっちゃって、・・とっても、景観が良かったんさ、・・また、大好きな奈良街道もあり、大好きな京都~大坂を結ぶ水運もあり、要衝の地でもあったんさ、・・然しながら、1593年8月、大好きな秀吉56才の時、・・大好きな秀頼がご誕生さ、・・大変お目出度いことさ、・・うれしいさ、・・でも、大好きな豊臣家に、暗雲が垂れ始めさ・・、・・天下統一を、成し遂げた大好きな秀吉は、大好きな関白の位と、大好きな聚楽第を、大好きな甥の秀次に、譲り渡し、・・1594年に、大好きな秀吉は、大好きな指月伏見城にご引越しさ、・・そんで、あろうことか、1595年6月末には、大好きな秀次謀反の疑いが持ち上がり、7月には、大好きな高野山で、28才で、賜死されちゃったんさ、可哀想さ、・・その上、大好きな妻子など関連者三条河原で、処刑されちゃったんさ、絶対有り得ないことが起きたんさ、・・涙が出るさ、・・大好きな指月伏見城は、その後の1596年に完成しちゃったんさ、・・でも、・・運悪く、完成直後の、1596年7月、慶長伏見地震によって、倒壊しちゃったんさ、残念さ、・・そのために、大好きな指月伏見城の北東1.1kmの木幡山(こはたやま)標高105mの地に、・・新たに、大好きな木幡山伏見城を築き直し、1597年に完成されちゃったさ、・・南方には、大好きな巨椋池(おぐらいけ)がとっても綺麗だったんさ、・・でも、ご隠居のご生活をゆっくり味わうこともなく、・・大好きな秀吉は、1598年8月に、大好きな木幡山伏見城で、61才でお亡くなりになられちゃったんさ、残念さ、・・その後は、大好きな五大老筆頭の徳川家康が、ご入場されちゃったんさ、・・そんで、1600年の関ヶ原の戦いの時は、大好きな家康の家臣の、大好きな鳥居元忠が、護っていたんだけんどさ、・・大好きな石田三成の西軍に攻められちゃって、あえなく落城焼失さ、残念さ、・・そんで、1602年頃、大好きな家康によって再建されちゃったんだけんどさ、・・大好きな各藩への一国一城令で、・・1619年に廃城されちゃったんさ、・・又々残念なことさ、数奇なお城さ、・・このとき、建物や部材は、大好きな二条城、淀城、福山城などに移築れちゃったさ、・・再利用はうれしいさ、・・そんで、大好きな伏見城の跡地には、大好きな桃の木が植えられちゃったんで、大好きな桃山さ、・・そんなんで、大好きな伏見桃山城と呼ばれるようになっちゃったんさ、・・一度聞いちゃったら、絶対忘れない、美味しそうなお城のお名前さ、うれしいさ、・・その後、大好きな本丸跡などには、・・畏れ多くも大好きな明治天皇の桃山陵が築かれちゃったんさ、・・そんで、1964年には、海抜90m辺りに、大好きな伏見桃山城キャッスルランドが建設され、・・大好きな遊園地内には、・・大好きな5重6階の大天守高さ50mと、3重4階の小天守高さ30m、櫓門などの、模擬天守が建てられちゃったんさ、立派さ、壮大さ、うれしいさ、・・そんで、一頃は、大好きな観光客で、大賑わいだったさ、・・でも、2003年に閉園されちゃったんさ、・・惜しいことさ、残念さ、・・じいじワンちゃんは、登城観光しちゃったことがあるというんさ、・・とっても優雅な立派なお城で、・・周囲360度、とっても見張らしも、景観も良かったんさ、・・そんで、現在では、大好きな伏見桃山城キャッスルランドは、耐震基準を満たしていないんで、建物内部は非公開さ、残念さ、・・そんなんこんなんで、大好きな伏見城は、波乱万丈の歴史だったさ、・・大好きな伏見城は、1592年に建設さ、そんで、大好きな秀頼は、1593年にお生まれさ、・・お目出度いことなのにさ、・・この地震は、大好きな豊臣家には暗雲の兆しさ、・・大好きな秀吉の甥の秀次は、1591年に、大好きな秀吉の後継で、大好きな関白さ、・・その後いろいろあってさ・・、1595年には、秀次の事件さ、・・なんの罪もない妻子取り巻きにも禍が、及んじゃったさ、・・とっても信じられないさ、・・涙で、とっても書けないことさ、・・それにしちゃっても、大好きな秀吉は、他人には絶対出来ないような大きな善行も多いのにさ、・・罪もない人々を、いっぱい殺すなどの、悪行も多いんさ、・・大好きな二十六聖人の処刑さ、・・大好きなお隣のお国への侵略さ、その結果、大好きな京都豊国神社近くには耳塚さ、・・大好きな秀次妻妾お子関係者事件さ、・・大好きな京都三条大橋そばの瑞泉寺(ずいせんじ)詣では、あまりにも可哀そうすぎて、涙が止まらないさ、・・その他にも、・・大好きな秀吉の近親者の処刑、・・悪口を言った群衆などの極刑など、・・悪いことがいっぱいさ、・・そんなときに、天罰の大好きな京都の大地震さ、・・悪い時には悪いことが重なるもんさ、・・後で何とでも言えることなんだけんどさ、・・大好きな豊臣家の崩壊の兆しさ、・・大好きな京都の豊国神社は、大好きな東の日光に比す、大好きな西の月光なのにさ、残念さ、・・それにしちゃっても、大好きな京都のお土産の、大好きな生八つ橋美味しすぎさ。

 

 

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