鎌倉幕府の京都の出先機関の六波羅探題が、消滅した日さ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

(続)さきちゃんの独り言

さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、悪いさ、朝からお空には、雲でいっぱいさ、そんで、小雨もさ、一日中、小雨が降ったり止んだりのぐずついちゃったお天気さ、・・今日も風ないさ、穏やかさ、・・そんで、今朝の室温は、21度と、まあまあさ、日中は、お陽様も出てくれないんで、風もないんで、温かいんだけんどさ、チョコの小雨が降る続き、チョコ肌寒い感じさ、・・昨日ほど、温かくないさ。

 そういえば、今日は、大好きな鎌倉幕府の幕臣だった、大好きな足利尊氏が、畏れ多くも大好きな後醍醐天皇の討幕の密勅を受けて、・・大好きな反幕勢力を、味方に付け、大好きな鎌倉幕府の、大好きな京都の統治の拠点の六波羅探題を、攻め落とした日さ、・・1333年(一味散々)のことさ、・・691年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・そんで、ここからは、・・六波羅探題の消滅とは、直接には関係ないんだけんどさ、・・思い出されちゃったのは、・・大好きな新潟県佐渡ヶ島に、配流されちゃった、大好きな日野資朝(ひのすけとも)のことさ、・・そんで、大好きな日野資朝と言っちゃったら、大好きな鎌倉時代末期の京都の公卿さ、・・そんで、畏れ多くも大好きな後醍醐天皇の、大好きな鎌倉幕府倒幕の御計画で、・・最初の、倒幕計画である、・・1324年の正中の変では、・・大好きな鎌倉幕府の、朝廷監視機関である、大好きな六波羅探題に、倒幕計画が察知されちゃって、・・大好きな日野資朝も、・・文人なのに、・・倒幕に参画されているのかは、判明しないのに、・・巻き添えで、大好きな佐渡島へ遠島流罪となられちゃったんさ、残念さ、・・次いで、1331年のことさ、再び、畏れ多くも大好きな後醍醐天皇の、討幕計画が露見しちゃったんさ、・・元弘の乱さ、・・この事件では、大好きな日野資朝は、大好きな佐渡ヶ島竹田の平地にある、大好きな本間三郎の居城の檀風城(だんぷうじょう)で、軟禁状態だったんさ、・・そんで、元弘の乱とは、・・遠く離れた、大好きな佐渡ヶ島で、軟禁状態だったんで、・・全く関係なかったんだけんどさ、・・とばっちりさ、・・1332年大好きな檀風城近くの、大好きな竹田川のグミの木川原で、罪を着せられ、斬首されちゃったんさ、残念なことさ、・・42才の若さだったさ、・・大好きな日野資朝は、処刑されるにあたり、落ち着き払い、・・都にいる子供たちへの手紙を託し、辞世の句さ、・・四大本無主 五蘊本来空 将頭傾白刃 但如鑚夏風(この世界に本より実体はなく、人の肉体と精神もまたその本質は空である、今、まさに、我が首は白刃を揺らそうとしている、しかしそれもまた、夏の風を斬るようなものだ)・・、・・句の内容の、更なる内容は、・・難しいんで、前略中略後略さ・・、・・それにしちゃっても残念な事だったさ、・・大好きな鎌倉幕府終焉の一年前の事だったさ、・・そんで、大好きな日野資朝のお墓は、大好きな阿仏坊の妙宣寺(みょうせんじ)の境内にあるんさ、・・大好きな妙宣寺は、・・元は、大好きな佐渡を支配した、大好きな本間氏の居城の雑太城(さわだじょう)だったさ、・・その後は、大好きな日蓮の弟子の阿仏房日得(あぶつぼうにっとく)が、自宅を寺として開基されたんさ、・・大好きな日蓮宗佐渡三本山のひとつさ、・・他には、大好きな根本寺、妙照寺さ・・、・・今は、大好きな雑太城の名残として、空堀なども現存さ、今や、大好きな妙宣寺は、大好きな佐渡島では、訪れる人も一番多いお寺さ・・、・・10年以上前までは、大好きなお寺周辺には、いっぱいの大好きな飲食店、お土産屋、売店、大好きなスカシユリ球根売店もあったんだけんどさ・・、・・今や、ホンチョコだけ、残っては居るさ・・、・・そんで、大好きな妙宣寺さ、大好きな仁王門をくぐると、すぐお目々の前には、大好きな五重塔さ、・・大好きな新潟県内に現存する唯一の五重塔さ、・・続いて大好きな山門をくぐると、すぐ右手に大好きな日野資朝のお墓があるんさ、でも、お目目の先には、大好きな妙宣寺本堂が見られるんで、見落とされる場合が多いんさ。

 

 妙宣寺仁王門さ

右手に五重塔が見られるさ

 

五重塔さ

1825年建立さ

 

山門さ

空堀跡の橋を渡るんさ

 

日野資朝卿のお墓さ

明治のお御代に名誉回復さ、うれしいさ

お墓は、昔のお城の土塁を壊し築造さ、明治時代に築造さ

 

妙宣寺本堂さ

右手茅葺は庫裏さ、大きな柱があるんさ

 

 そんで、・・更に続きさ、・・大好きな日野資朝のお子の、大好きな阿新丸(くまわかまる:後の日野邦光(くにみつ))13才が、大好きな父日野資朝に会いたいと、はるばる大好きな京都より、大好きな佐渡ヶ島さ、・・でも残念なことに、大好きな日野資朝は、大好きな雑太(さわだ)城主の、大好きな本間山城守(・・佐渡ヶ島では、今でも、本間姓が多いんさ・・)に処刑されちゃったんさ、・・そんで大好きな阿新丸は、親の敵討ちを決意さ、・・そんで、大好きな本間山城守は、討てなかったものの、大好きな弟の本間三郎を討っちゃったんさ、そんで、大好きな阿新丸は、追っ手に追われ逃げちゃったさ、・・その途中、大好きな妙宣寺近くの、大好きな隠れ松に、身を潜めちゃったというんさ、この敵討ちを手助けしちゃったのは、大好きな大膳坊(だいぜんぼう)賢榮さ、・・おかげで、大好きな阿新丸は、大好きな京都に戻り、大好きな南北朝時代の公卿として、畏れ多くも大好きな後醍醐天皇にお仕えし、権中納言まで上り詰めたんさ、・・嬉しいさ、・・一方、大好きな阿新丸に逃げられちゃったんで、・・大好きな本間山城守は激怒しちゃって、大好きな大膳坊を処刑しちゃったんさ、・・そんで、その後、大好きな妙宣寺様の近くの、大好きな吉岡(よしおか)にある大膳(おおぜん)神社には、大好きな日野資朝と、大好きな大膳坊賢榮を祀っておられるんさ、うれしいさ、そんで、大好きな大膳神社の能舞台は、1846年の建造で、大好きな佐渡に現存する最古の能舞台で茅葺さ、・・大好きな大膳神社宮司は、・・代代、大好きな日野家と言うことさ・・、・・大好きな日野資朝、阿新丸親子のことは、大好きな真野の佐渡歴史伝説館で、見られるさ、それにしちゃっても、大好きな佐渡土産の、大好きな沢根の笹団子美味しすぎさ。

 

 

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●安全安心美味しいネギ、大根は
  ⇒ シンタロー農場のホームページ


●美味しいトウモロコシ、粘り強い山芋、安全安心美味しいあっさり飽きないお米、ドラゴンフルーツは

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■袖ケ浦市、君津市の理容
  ⇒ アノンのホームページ