唯識についての吟味を続ける。


唯識といえども様々な立場の僧侶や学者がいるので、私としても私の説を論じることは非常に勇気が必要となる。ここをどのように克服していくかが学者としての腕の見せ所となってくる。


現在取り扱っているのはあくまでもの宗教であり、いわゆる心理学ではないところもまた気を使うところである。


奈良で仏教といえば、そこに歴史も絡んでくる。ここがより話を難しくさせる。


しかし、私の論文は一度に様々な学問分野に触れることが可能であるところに期待度が高まっている事があると聞く。よって、その部分にも気を使いながら書き進めていく。


現在は人間の心におけるねじれを中心に話を進めている。


ここで設問を立ててみる。


太母元型の渦にトラップされている女性の僕は男装し、愛するプリンセスを助けるために接近する。悪魔に囚われているプリンセスを助けるため、僕は悪魔の城にたどり着く。


悪魔はこういった。


お前が死ぬ前に、一つだけ願いを叶えてやろう。


僕は言った。


では、犬になって私の母親に会って欲しい。


その悪魔は犬になり、僕の母親に会いに行った。すると、僕の母親の異常なほどの愛情に溺れた悪魔は見事に太母の渦に巻き込まれ、脱出不可能となる。


その隙に僕はプリンセスを助けようとするが、悪魔退治に成功した僕は、逆に渦から抜け出した普通の人間になっていた。僕は僕ではなく、僕の抜け殻がそこにあった。


さて、このような場合、この女性がプリンセスである女性を救うにはどのようにすればいいのか。これを唯識論的に考えられたい。


この模範解答について、私からの模範解答が必要とのリクエストが多ければ、次稿にて行う。


現時点において、私から答えは出さない。


ここから中身に入っていく。


さて、西ノ京の薬師寺であるが、薬師寺がなぜ法相宗であるかを考えた人はいるだろうか。


勿論、薬師寺には薬師寺の主張がある。その根拠に歴史がある。それはそれとして、薬師寺が法相宗であることの理由を唯識派として吟味検討した人がいて欲しいとの、私の願望である。勿論、薬師寺は唯識派としてこれについて既に答えを持ち合わせているであろうが、この点を私なりに吟味していきたい。


法相宗といえば興福寺もそうであるが、本尊が釈尊であることから、もう一段深い次元になる。この事から、ここでは西ノ京の薬師寺を事例に、ねじれを吟味してみようと思う。


薬師寺はなぜ薬師寺かといえば、飛鳥時代より薬の研究開発を行っていたからである。平城京への遷都に伴い現在の西ノ京に移転したが、移転後も引き続き薬の研究開発を行う。だからこそ薬師如来が本尊となっている。学問寺ではあるものの、化学の研究開発機関でもあったことを忘れてはならない。


薬師寺の隣には唐招提寺がある。かつてここに鑑真が住んでいた。なぜ鑑真が薬師寺の隣に住んでいたかについて、これには通説がある。しかしながら、唯識派の思想から推測すると、その通説に疑問を感じている。ここでの通説とは、多くの学者が古文書などを根拠に学会にて研究発表した内容について、学会として認めることを意味する。よって、この通説に異論を唱えることは、学会を敵に回すことになる。


私はこれにチャレンジするわけであるが、これは学会と敵対するわけではない。そもそも薬師寺と鑑真との関係を関連付けようとする事自体が歴史的なタブーである。しかしながら、唯識派の思想からすると、ここにチャレンジしないことには唯識派とはいえないので、歴史的意味ではなく、宗教的な意味を探っていこうとする試みである。ここを理解されたい。


まず鑑真について、そもそもなぜ来日したのかについて、多くの疑問が残っている。その点は深く追求しないが、中国仏教界のエースが日本に移住しにきた事は事実である。その彼が薬師寺の隣に住むことになったとなれば、それ相応の理由を探っていくのは当然ではなかろうか。鑑真が日本に移住というだけで、そもそも「ねじれ」である。


唐招提寺に行ったことがある人ならご存知であろうが、唐招提寺といえば、「薬草園」である。もはや寺というより薬草園である。なぜ唐招提寺がそのような状態になっているかといえば、鑑真は宗教家でもありながら、優秀な薬の研究者でもあった。よって、異説には薬の研究を行うために移住を決意したともいわれており、私は唯識派の思想からすると、こちらの説を支持する立場である。


さて、薬の研究とは心理学的には何を意味するかであるが、異質なものの結合、いわゆる錬金術である。これを現代用語に翻訳すると化学となる。つまり、老賢者として化学の研究を行いに、薬師寺の隣に移住しに来たといえるのではなかろうかと考えている。


ここまでくると全容が理解できようが、錬金術を行うには、老賢者による退行が必要となってくる。いわんや、当時の化学において、これは必修である。よって、法相宗は薬師寺を薬師寺として確固たる個性を築き上げるための思想として、むしろ当然の宗派であるといえ、鑑真としても研究するための環境としてベストであったと思われる。


この高度に発達した研究機関の隣に居を構えた鑑真との構図は、まるでシリコンバレーの如き、「企業集積」をイメージさせる。経営学者のポーターはこれを「クラスター」と表現し概念化したが、薬師寺における荘園をも合わせると、西ノ京の付近一帯は「薬クラスター」が形成されていた事になる。


なぜここまでのクラスターが1,300年前に実現していたかといえば、そこに唯識があったからとなろう。これを拡大すると、ポーターのクラスター論こそ唯識で解決するものであるとの仮説が有効となる。


こうなると、クラスターそのものは可能性を示す本有種子、バリューチェーン(相互作用)とは残りの3つの種子(機能)ではなかろうかとの仮説に向かう。


これを解決すれば、アメリカの産業集積における新たなる提言を日本から発信することが可能となると思う。あとは読者諸彦がこの話に賛同するか否かである。


ともかく、鑑真が薬師寺の隣に移住した事により、「西ノ京の薬産業と企業集積における唯識派的研究」という、異質なものが新結合した議論が可能となる。


この研究を進めるか否かは別の話として、薬の研究において法相宗はベストマッチである。そして、それが当時の心理学として大きな功績を残した事を視座に、今後も唯識の吟味を続けていく。


次稿に期待されたい。