この連載は今回で終わりとする。


それにしても、私が宗教を話題として以降、私の連載を重ねるごとに期待度が高まっており、これについては読者に感謝申し上げたい。


しかし、少し加熱し過ぎの感もある。最近の政治の風潮が追い風になっているのか、宗教に初心を求めていこうとする傾向をみて取れる。そこに仏教が食い込んできていることが興味深い。これも一つの方法であろうが、さて、宗教の力はそれほど単純なものであろうかと私は思う。


中国における儒家の思想の代表的なものとして、孟子にして性善説、荀子にして性悪説がある。さて、私達が主に学んできた大乗仏教において、どちらの派に属すのかを考えるとき、単純に儒教と日本、そして仏教との関連を語れるものではない。


南都七大寺においては全ての寺院において唯識派となるが、ここにして孟子の性善説と唯識派との合理を見ることができる。これが更に近代における深層心理学、とりわけユング派心理学とが合理することから、人間における意思決定、つまり戦略については時代、国、人種などは関係なく、決まったパターン(天理)が存在するという仮説を導くに至る。


私はこのパターンこそが宗教であると考えている。人はこのパターンを探し求め、信仰を生み出し、そして深化させる。その手段の一つとして仏教があるとの仮説となる。


前置きはここまでとし、結語らしいことをやってみる。


南都七大寺における経営戦略的な特徴は何かといえば、宗教的には集中的多角化、箱の運営としては水平的多角化という流れである。では興福寺はどうかといえば、これは厳密には、宗教的には集中的多角化を行うが、表面には出さないようになっている。



このリンク先からも理解できるように、修行については真言宗の流れを採用している。しかし、真言宗を取り入れたとは明言されておらず、あくまでも法相宗にこだわる徹底ぶりである。


ここからすると、南都七大寺の全てにおいて宗教的には集中的多角化、箱の運営としては水平的多角化となり、例外はなくなる。これが偶然の一致であろうかとの私の問題意識である。


それにしても南都七大寺においては藤原氏の頑固さが際立つ。これはやはり東大寺との関係がこのようにさせたのであろう。こうでもしないと前進できないほどの陰陽の対立を感じる事ができる。


これが現代企業においてはどうなのかを吟味してみる。いつも松下幸之助ばかりを例にし、松下幸之助にも申し訳ない思いであるが、事例としては最適なので、ご理解いただきたい。


旧松下電器といえばやはりソケットである。二股ソケットのイメージが強いが、最初から二股であった訳では無い。試行錯誤するうちに二股ソケットへとたどり着く。つまり、最初のソケットは松下幸之助以前から日本に存在していた。それを作り続けていくうちに二股ソケットにたどり着く。しかも、これは様々な使い方が可能であったので、市場が拡大したことにより、ここでは集中的多角化が行われる。


ここから先が運命の分かれ道であるが、松下幸之助は持てる技術の範疇において、新製品の拡大を行っていく。自転車の電灯はその代表である。よって、ソケットの開発以降は水平的多角化という意思決定を下していくことになる。


このように、ある一つのものを集中して作りながら、製品群を横へ広げていく方法は旧石器時代から見られる。ここからすると、その頃から現代にかけ、意思決定についてはほとんど変化は見られず、しかしながら、どの時代においても、この方法にたどり着くまでに死ぬほどの苦労をしている人間の姿を見る。中には本当に死ぬ人もいるほどである。


これがユング派心理学における個性化の議論と似ており、集中的多角化から水平的多角化への移行のプロセスに「宗教」、そして「神秘性」を見出すことができるのではなかろうかとの仮説を持っている。


この苦しみからの開放を求めるべく、仏教を移入し、学んだ奈良時代。つまり、日本の教育史は奈良時代にまで遡ることにより明確化するのであろうが、仏教が教育と直結する時、宗教という苦は学問へと変化し、これが逆に苦の解放をもたらすのであろう。その結果として神秘性、否、仏秘性となったのではなかろうかと思われる。この仏秘性こそが奈良時代における仏教であったと思われる。


ここまで仮説を導き出したところで、この仮説を新たなる連載に繰り越すことにする。


次連載に期待されたい。