現在は南都七大寺を中心に吟味している。


前稿では金峯山寺を挿入した。これにはいろいろと理由がある。まず、日本に仏教が入ってきた理由であるが、これには様々なものがある中で、病気を治したいという思いが強かったことがある。


この当時は現代とは異なり、衛生状態が悪かった。当然のごとくワクチンもないため疫病が流行する。これを宗教の力で治めようとしたのが大きな理由の一つである。


その中でも注目するべきは薬である。薬でもって病気を治癒しようとする思いがあった。


そんな世の中において、薬師如来を日本に持ち込むことにより、世の中を変えていこうとする動きが出てきた。


その一つが今回の吟味の対象となる薬師寺である。奈良県南部では、これは金峯山寺の開基を行った役小角であった。


この他、製薬にかんして、奈良県北部では興福寺が大活躍していたことも史実が示すところである。



薬師寺の歴史については公式サイトを参照されたい。


南都七大寺の吟味となるので薬師寺は官寺となる。官寺の中でも歴史的に朝廷が主導した寺院となっている。


朝廷が主導する寺院の傾向として「学問寺」があるが、薬師寺もこの例に入る。


しかも、薬師寺の公式サイトから読み取れることは、学問寺としての役割を強調している。医学の世界では基礎と臨床とがあるが、その中でも基礎に特化した寺院であることは間違いない。


こうなってくると疑問に思うのは、薬の研究ではなく、仏教の研究を行う場所?となってくる。これは当然の帰結である。あまりにも当たり前に過ぎ、逆に自分が間違っているかのような錯覚を起こしてしまう。しかしこの疑問を出すことができる人は素晴らしい。学問をやる素質は十分に備わっている。


これについて、薬師寺へ実際に足を運ぶとより疑問に思うが、薬を思わせる要素がない。しかし、本尊は薬師三尊である。益々、謎は深まるばかりである。


薬師寺にて薬のネタが欲しいわけであるが、當麻寺のように簡単ではない。否、簡単ではないということは、どういうことかを考える必要がある。つまり、薬師寺の公式サイトからはその情報を得ることはできない。それどころか、薬師寺における寺院の運営にかんする情報は、市中に多く出回っていないことも特徴である。つまり、通常の研究のアプローチとは別の方法を考えなければならない。


さすが学問寺の薬師寺である。これがまた困難を極める。方法としては逆引きするしかない。


そこで、何をどうするかといえば、薬師寺の運営資金を捻出する方法から入っていくことになる。よって、地方が収めた封戸を調べるところから始めることになる。これがまた困難な作業である。


そうすると出てくる。西ノ京に移設された薬師寺に収められた封戸が判明した。ちなみに、封戸は高校の歴史の教科書に出てくるので、詳細は割愛する。


この封戸がどの地方からどのくらい納められたかについて、これは該当する地方と薬師寺における個人情報となるゆえ、私は立場的に詳細は控える。いわんや、量的なものとなると不明な場合が多い事を申し添えておく。


封戸が判明すると、次に荘園となる。薬師寺の荘園があるはずだと思い探すと、これもでてきた。これにかんしては東京大学が一部をネット公開しているのでリンクを貼っておく。



ここに出てくる「薬園荘」はつまり、荘園のことである。さらに、これは文字が全てを表すかの如く、ここでは薬草の栽培が行われていた。


ここまでが大変であったが、つまり、薬師寺は学問寺として基礎研究を行う教育機関として機能しており、それは荘園の運営にも大きな影響を与えていた事になる。


ここでの研究成果は興福寺へと持ち寄られ、製薬へと導かれたようである。ここからして、薬師寺は荘園を通じ薬の研究も行っていたことになる。


これで読者の心は晴れたのではなかろうか。


ここからすると、やはり老賢者により化学の力をつけることによる戦略的な展開がなされている。まず、老賢者を育てるための学問分野への進出、そこでの知恵を使い、薬師如来に関連する薬の研究、そしてその運営資金を調達するための荘園の運営。とりわけ、荘園において薬草が栽培されており、意思決定における宗教的な影響が大きいと思われる。


総合すると、水平的多角化戦略的でまとまる。


とにかく、薬師如来による大変厳しい教育方法に、私も途中で泣きそうになった。薬師如来は優しい存在であるように思っていたが、実はアメとムチを使い分ける達人でもある。



宇治拾遺物語に薬師寺の別当にかんする話がある。


薬師寺で別当まで勤めた幹部がいたが、その別当が臨終を迎える頃、どういうわけか地獄からの使者が迎えにきた。


その別当が理由を聞いたところ、「薬師寺から拝借した米を1年間にわたり返還しないからだ」とその使者は答えた。


そのくらいのことで地獄行きか!と驚いた別当は、慌てて借りた米を返還した。すると、無事に天国へと召されたとの話である。


ここで薬師如来による十二大願を読み返すと、「戒律を破った者を反省させ、その罪を清めさせる」と見える。


ここでの戒律とは米の返還を含むか否かであるが、薬師寺の別当に地獄からの使者がやってきた事からすると、これも戒律に含むのであろう。


この物語からも理解できるように、「えっ、そのくらいのことで?」と思うことでも薬師如来は許さないのである。


しかし、本腰を入れ神秘に探りを入れていくと、道は開かれる。


薬師寺の事例研究ではそれを身を以て体験したことを特筆しておく。


次稿に期待されたい。