なぜか、前連載からのリクエストが多かった。なぜ多いのかについての原因は不明である。約束通り、改めて連載を開始する。


それにしてもこの連載は上巻も含め意思決定が問題の中心となるが、読み手のほとんどは歴史の教科書として活用しているはずである。そうでなければ上巻からのリクエストは起きないはずである。なぜそこまでして日本の歴史を知りたいのかについては個別の事情があろうが、一つに、日本における初等・中等教育の現場において、日本史教育がうまく進んでいない事があろう。


次に、宗教に対する理解を求めることがあろう。


最後に、日本のオリジナルな理論を世界へ発信するという憧れがあろう。


これら3つの事が大きな問題となっていることは、一介の教育者として重々にして承知している。しかし、私がいくら主張しようとも、私一人で主張したところで数の原理でかき消されてしまうことが多かった。よって、多くの人からの賛同の声が必要となるが、これが最近になり実ってきたのであろう。


まず、初等・中等教育の現場においての日本史の歴史教育であるが、これは難しいであろう。教科書の仕様が興福寺、墨、宗教とに分離された形で構成されているため、これらの関連性が見えてこない。結果として統合する事が困難となり、離脱する生徒が増加すると思われる。ここで意味する統合とは個性化を意味する。よって、興福寺の個性化を意味するが、これがうまく果たせないため、「つまらない」となってしまう。よって、歴史を語る人が最初から興福寺を個性化させた状態で語る必要がある。


興福寺は墨だけではない。芸能にも力を入れていた寺院である。つまり、芸能プロダクションとしても機能していた。とりわけ、弦楽器での演奏が中心となるが、日本を代表する奏者やダンサーがここで育てられていた。


藤原氏は春日大社も管轄しており、その意味で、芸能の神様であるアメノウズメをも含め、仏、神、人間の三才を総動員しての、超巨大なエンターテインメント事業を奈良で実現させていた。これほど巨大なエンターテインメント事業を手掛ける事業者は現代では存在しない。よって、この分野は奈良時代や平安時代の方が進んでおり、現代においては衰退ないし、縮小と見るのが正しいであろう。


ここからすると、国家繁栄のために、日本の芸能界はもっと規模を大きくすることが望ましいとなる。今の芸能界の規模では日本を支えきれていないと判断することが可能である。


このように、藤原氏と芸能とを一緒に語るからこそ意味が出てくる。これを藤原氏と芸能とを分離して歴史を描いたところで、何もわからなくなるのは当然の事である。


次に宗教に対する理解への問題である。これもまた難しい問題であろう。しかしそれは飛鳥時代に仏教と儒教とが伝来した時と、現代とを同一視するからである。1,400年も前の事を現代と並列で考えると間違いを起こすのは当然の事である。つまり、客観視ができていないことによる宗教に対する理解不足が招く諸問題である。よって、この部分こそ「分離」が必要となる。


物語は統合。時間軸は分離である。


最後に、日本から発信するオリジナル理論への希求である。


これについては原理的には簡単である。しかし、日本国内における研究障壁があり、研究者として発表するべきことでも出る杭は打たれ、結果として世界への発信が阻害される。


とりわけ宗教に関連することはこの傾向が強い。興福寺が芸能プロダクションとは何事じゃ!という御意見が多いであろうが、史実としてそのような時期が存在したことを認めていかなければならない。いわんや、この歴史は興福寺も認めるところである。


しかし、私の論文の読者はこれら全てをクリアしている人々であると思われる。よって、意思決定という視座において、連載が終わるまで書き続ける。


ここから本題となるが、今回は大安寺である。この連載は中巻となるので、実際例が主たる内容となる。



南都七大寺との表題となっている。ここも大切であるが、奈良時代においては東大寺、興福寺、大安寺は三大寺院であった。よって、今回は大安寺を引いている。


大安寺はある男性の夢として宇治拾遺物語でも登場する寺院である。


その男性は今でいう「ヒモ」の男性であるが、住職の娘と良好な関係を築いていた。この歴史ある大安寺でヒモとして生活していたある日、その彼女と住職の家族が溶けた鉄をお茶として飲んでおり、目、耳、口から煙が出ている夢を見たという。


その夢を見た男性は大安寺に迷惑をかけていることに気づき、立ち去っていったという物語である。


さて、大安寺でヒモの生活とは、それだけでもぶっ飛んだ話であるが、ある意味で、この男性は大安寺において悟ったことを意味する。


ではなぜこのようなマイルドでありながらも確実なる個性化を実現したのかを考える必要がある。


これを宿題とし、私からの解答は次稿にて行う。


期待されたい。