この息抜きは今回を最後とし、次稿からはまとめに入る。


息抜きの最後は當麻寺である。



当麻寺であるが、この寺院は拙著「続・新武士道」にて何度か事例にしたことがある。


宗教的には真言宗と浄土宗の二宗となる、非常に珍しい形態である。しかし、本尊は當麻曼荼羅であり、浄土宗を根源とする。


その始まりは諸説あるが、上記リンク先によると、聖徳太子の異母弟である麻呂子で落ち着いているようである。


それにしても、真言宗の中に浄土宗も含まれるが、それがあえて外に分離しながら併存する宗教となり、この曖昧さが歴史にも表れているように思われる。つまり、全てが自然発生的であり、運良く偶然が重なったという歴史的記述に溢れている点である。


曼荼羅にしても密教における両部曼荼羅と思いきや、浄土宗というか、當麻寺独自の曼荼羅となっている。



このように寺院の意思決定としては、あくまでも「導かれた結果」となっている事が特徴である。



ある日、當麻寺に空海がやってきた。そして空海が當麻曼荼羅を前に瞑想を行った事で真言宗が併存することになったとなる。ここからすると、真言宗から浄土宗がスピンオフしたわけではなく、あくまでも浄土宗と真言宗の併存が強調されている。


この曖昧さは、東大寺や興福寺における意思決定のあり方とは非常に異なる。この曖昧さに魅了される人が多かったことは、當麻寺の歴史からも明らかとなる。


寺院としての意思決定はこれだけにとどまらない。やはり、力を持った寺院であるゆえ、化学の分野にも力を入れていた。それが陀羅尼助である。



胃腸薬であるが、これも自然発生的に生じた多角化戦略となっている。


當麻寺の建立の地が偶然にも陀羅尼助を作る場所に適していたからとの記述となっている。しかし、仏教はそもそも化学との関わりが深いので、これをどのように見るかで書き方は変わってくる。


しかし、合理的意思決定というより、病気から人々を救いたいという思いが、持てる技術の還元へと繋がったのであろう。


こうしてみると、宗教を横一列、そして仏教からの技術の転用としての陀羅尼助という流れからして、水平的多角化へと自然に導かれたのであろう。


寺院といえども様々であり、水平的多角化といえども、具体策は様々である。


古い事例ではあるが、現代の企業経営に活用していただければ幸いである。