日本の寺院における経営戦略について論じているが、そもそも経営戦略とは何かについて、読者は知っているだろうか。


これについて、私は何度も書いてきたので、もう書く必要はないかと思う。しかし、一応述べておくと、経営学において経営戦略とは、「意思決定」と解釈されている。つまり、経営戦略という決まった「型」はないとの解釈である。よって、企業経営における経営戦略とは、企業における戦略立案者による意思決定となる。ここからすると、実際には戦略立案者が下した経営理念は全て経営戦略の範疇となる。ここを理解しなければ話にならない。


例えば、碍子の製造メーカーがリゾートホテル業に進出したとしても、それは意思決定となるので、経営戦略となる。


経営学者の私が心理学や中国哲学の学問分野に手を広げたとしても、これは経営戦略である。もっとも、事業を営む人物は総じて経営者なので、私の学問分野の多角化も経営戦略の範疇となる。


該当する企業における戦略立案者が下した意思決定は、どのようなものであろうとも「経営戦略」となる。この幅の広さを理解されたい。


結論として、経営戦略で大切な事は、なぜそのような意思決定に至ったのかについての「プロセス」となる。


例えば、同じ碍子のメーカーであっても、京セラと村田製作所とは異なる戦略をとる。しかもかなり異なる。この異なりは製品を見れば一目瞭然となる。小学生でもわかる事である。これほど簡単な違いを比較して、「これらの企業は異なります!」と論じたところで、何の意味があろうか?というのが私の主張である。


上述を経営戦略論への問題提起として、次に、経営戦略論という決まった「型」があるように思われている現在、では、成功への法則をどのように開発すればいいのかをこの連載において吟味していこうとするのがその目論見である。


アメリカやイギリスにおける経営戦略論の教科書の1ページ目に書かれていることは、いつの時代でも「戦略とは軍事用語からの転用である」との事である。本件については何度も書いているので詳細は割愛するが、要は、そういう事である。


今更、戦略という経営学における専門用語が軍事用語からの転用であるなどを理解したところで、大した効果はない。それよりも大切なことは、成功企業における意思決定は、7つに類型化されると発表したアンソフの見解を重要視する必要があるのではなかろうかとの、私からの提言である。


ここで経営戦略(経営戦略ではない)に対する誤解を解いておくと、経営戦略とはチャンドラー、アンソフ、ポーター、ミンツバーグが作り上げたものではなく、あくまでも企業における戦略立案者が作ったものである。では、これらの有名な学者達は何を行ったかといえば、成功企業の類型化を行ったのである。この中でミンツバーグは異なり、過去の経営戦略論における学者の学説を類型化することにより、経営戦略を理解しようとした学者である。これらの成果を持って「経営戦略論」となっているだけの事である。


総合すると、これらの学者達は成功企業や過去の学者における学説のデータ整理を行ったのみである。それ以上でもなく以下でもない。これをもって「経営戦略」と思い込んでいる人々が多いことに、経営戦略という「物体」があるかの如くの誤解を生むに至っていると私は感じている。この連載において、そのような物体など存在しない事を理解して頂ければ幸いである。


このように、経営戦略とは意思決定であるとの基礎基本に立ち返る時、アンソフにおける意思決定の7つのパターンは非常に重要となる。つまり、事業を成功させる意思決定の方法は7つに集約されるとの解釈が成立するのではなかろうかとの判断となる。


ここで寺院における意思決定を調べることにより、アンソフによる7つの意思決定のパターンのいずれかに一致すれば、仏教思想における企業経営の意思決定とは、地球規模の普遍性を帯びていることを証明する事が可能となる。


今回はここで筆を置く。次稿に期待されたい。