宗教の各論を吟味することにより新渡戸稲造博士(以下、新戸部と称す)における武士道を再検討しているが、これが中々の難問となっている。


新戸部はその著書である『武士道』において、武士道思想に大きく関連するのは儒教であると明かしている。儒教とは即ち「仁」であることは既に論じているが、孔子は仁を実現するために楽を重要視する。仁は形而上の原理を意味し、それを私はこの系列の連載において元型と定義した。よって、仁を実現するには和が必要となる。よって、孔子は楽を重要視するのである。義、礼、天、信などは仁を実現するためのものではなく、儒教全体に関わる問題として捉えられていることも注意されたい。よって、仁を構成する要素ではない。


ここで仁にかんする大切なワードとして、仁道と仁知という言葉がある。これはいうまでもなく仁に対する派生語となるが、道家の道と同じで、仁も連体詞を伴っての理解が必要となってくる。


さて、ここで私が隠し持っていた仮説を出すと、仁が元型であるならば、仁知は元型と自我との対話の徳となる。仁道は説明するまでもなく個性化となる。こうすると、ユング派心理学の個性化の過程と見事に重なる。これを実現するための楽となる。ここが孔子オリジナルの部分である。


ユングは音楽の事は遺作にてロカビリーなどに少し触れたくらいであるが、孔子は音楽で個性化を促進させようとした人物である。その意味で、ユングの方が遅れていたといえる。


それはさておき、では、武士道においてはどうかといえば、仁は強調されているが、いまいち意味が不明瞭であることを否めない。仁が儒教の中心であることはこの分野の研究者の共通認識として理解できるが、どうも言葉を濁しているとしか思えない。なぜなら、武士道では儒教における音楽には触れていないにも関わらず、彼の実際の教育の現場では論語を引用しながら音楽教育を取り入れていた。よって、彼の著書の武士道ではその点を隠していることを証明する事になる。


この問題は後回しにするとして、すなわち、新戸部による武士道では語られていないものの、儒教の影響を大きく受けている武士道思想には音楽が必要である事を我々は理解しなければならない。ではなぜ新戸部は音楽の重要性を武士道において飛ばしたのかといえば、江戸時代に儒教が再考された際、それは仏教と同じく、日本版となっていたからだと推測される。本来の儒教は外向的な性格の人間用に設定されているが、日本人は逆の内向的な性格となるので、仏教の勃興の時と同じく、当時の幕府は内向的な日本人用に儒教を改造し、日本版としてしまった事実がある。


ちなみに、日本用の儒教は日本において、約20年前まで通説となっていた。


ここに地味ながら反旗を翻していた新渡戸という構造である。実に私の心を掴むのである。つまり、当時の状況では儒教と音楽についての関係を書くと、とんでもないことになる事が予想されたため、あえて書かなかったと思われる。その果たせぬ想いをお節介ながら、私が代弁していることになる。


よって、新渡戸の本当の想いを儒教に込めるとすると、3つの宗教からは以下の特徴を見るに至る。


1:儒教における国際感覚の認識

2:神道における折衷の方法

3:仏教における純日本という偏り


こうしてまとめてみると、新渡戸が武士道を執筆した当時、本当に武士道が思想として存在したのであれば、武士道は国際化社会に必要な全ての思想を網羅していることになる。そしてそれは江戸時代に既に完成していたとなる。


ではここで問題となるのは音楽と日本の仏教との関係であろう。これは実に犬猿の仲である事は簡単に理解できよう。日本の仏教に音楽をぶち込むと、空海はただのおっさんになってしまう。


内向的な人は不快な音と常に接している。つまり、常にストレスを抱えている状態である。そこに整った音が入ってくる。当然の事ながらバランスが取れてしまうので、心の中は空になる。そうすると1,464体の仏像は消去される。要は、アンバランスな状況こそが創造の源となると、心理学的には退行こそが日本の姿となる。それこそが集中的多角化であり、スケールメリットを最大限に活かせる状況だとすれば、音楽は敵だ!となり、排除されるのは当然である。


ところが、雅楽は仏教の伝来とともに飛鳥時代には既に入ってきており、ある場所でたくさん演奏されていた。よって、音楽家を育てる必要がある。


例えば、宮内庁による資料をご覧いただきたい。



これによると、雅楽は平安時代に日本のオリジナルとなったことになる。つまり、時代背景的に空海方式で雅楽が作られていなければ整合性がとれない。よって、音楽家を育てるための空海方式が存在していたと想定すると、空海と音楽とは切り離されていながら、仏教と音楽とは密接であると想定可能となる。


次に文化庁の資料を参照されたい。



私としては宮内庁と文化庁とで内容に差があることへの疑問を投げかけたいが、それはさておき、仏教での宗教行事において雅楽が使用されていたことが明記されている。よって、仏教と音楽とは密接であるが、各派の開祖とは分離され、専門化が進んだと理解可能となる。雅楽であれば雅楽の専門家が大量に出てきた可能性があるのが、平安時代であったのであろう。


要は、音楽家は音楽を聞く、または演奏することにより退行させ、その結果として究極の音楽家を育てるやり方で当時の音楽は進行していたとなる。今の言葉で言う「詰め込み教育」の原点となる方法であろう。


新戸部はここを恐れたかもしれない。そこで、幼児・初等教育、つまり、心の初期形成過程において音楽を導入することにより、新渡戸オリジナルの即身成仏を考案していたと思われる。


このように順を追って考察してみると、新武士道において改めて音楽と和についてを吟味検討する必要があろう。


今後はこの点を中心に吟味を展開していく。