武士道に音楽という組み合わせであるが、これも考えてみれば面白い。武士の奥さんは音楽をやる。それも教養の一部として行っていた。琴はその代表例であろう。三味線もそうである。しかし、楽器といえば弦楽器というのがまた古典的な話である。とはいえ、チェンバロもピアノも音源は弦であるので、弦における不思議な力である。


それはさておき、その昔、孔子という聖人がいらっしゃいまして、この方はかなりのわんぱく坊やから成長し、最後は世界の四聖人にまで上り詰めた、素晴らしい政治家・宗教家である。


孔子であるが、彼は母子家庭という家庭環境ながら母親から大切に育てられる。子供の頃はイタズラ好きで、食べ物や飲み物を盗む訳ではないが、くすねる形で盗み食いをしたり、酒を飲んで酔っ払ったりする少年時代を過ごしていた。


孔子が15歳になった時、突如として学問に目覚める。そこで、歴史から勉強し始めるようになる。


これが孔子の始まりである。つまり、普通の少年だったことを知らせる物語となっている。


孔子はその内に政治家を目指すようになり、実際に知事として活動するようになる。道徳だけで街はきれいで豊かになり、鼻紙一枚落ちていることはなく、人々は笑顔で満ち溢れていたとされる。つまり、法治国家の否定である。


さて、道徳だけでこれほどまでに統治できることを証明した孔子に対する他国からの圧力は強く、孔子を引きずり下ろそうとする勢力が拡大する。この話をやりだすとただの古代中国史となってしまうので、ここでは割愛する。


さて問題である。なぜ孔子は道徳のみで領地を統治できたのか。そして、封建制を成功へと導き、美化できたのかである。これを通常であれば仁、徳、天、道などで説明しようとするが、それだけで何とかなるような話ではないと思われる。


例えば、5人の集団を動かすだけでも大変な苦労をする。いわんや、孔子は2,500年前の人物である。通信手段がない時代、法治国家を否定しながら領地を円満に治めるなど、通常では考えられない。真心だけで人が動くのであれば、誰も苦労しない。ここがポイントである。


ここで礼記の経解篇を引くと、「孔子曰、(中略)広博易良なるは楽の教えなり」とある。


かなり含蓄ある一言である。意味は、「博学を自慢しないのは音楽の教えである」との孔子からのありがたいお言葉である。要は、音楽こそ道徳であり、よって法律に該当すると解釈できよう。孔子は音楽と道徳を同一視することにより、法律と同じような作用があると感じていたのであろう。


ここに「和」の概念が加わってくる。和を持って博学を一箇所にまとめることを力説するのである。これもどこかで見た行動である。誰であろうか宿題にしたいところであるが、答えは空海である。


話を少し戻すと、現在の儒教の経典は朱子によるものである。かつては四書五経ではなく、六経のみであった。六経とは易、書、詩、礼、春秋に楽を加えたものである。荘子の天運篇にそれが見える。


また荘子の天下篇では、「楽はもって和を道い」とある。つまり、「音楽」をもって「和」が実現する事を見るに至る。音楽はある地点の一箇所に多くのものを束ねる力があると理解されていることを証明するものである。これを孔子は政治の世界に援用した人物となる。


話は第一次世界大戦や第二次世界大戦のプロパガンダの世界に見えなくもない。音楽にはそれほどの力があることを認められたかどうかは分からないが、秦の始皇帝による法治国家の思想により、儒教における楽は滅びてしまう。


これが史実である。つまり、人間の知識から社会的なルールのみを抽出すると、音楽は力を失ってしまう。このことを中国の歴史から学ぶことができる。よって、音楽の力でプロパガンダというのは音楽の力を発揮できないわけで、効果なしと評価できよう。


逆に、日本の仏教は「分離」に力点を置くため、経典に音楽を追加すると、そこに破壊的な威力を持つことになる。つまり、仏の力の必要がなくなってしまう。その点、日本神話はゆるいので、プロミュージシャンの私としては親しみやすい。


タイムマシーンがあるとして、私が奈良時代における東大寺でハードロックを演奏したならば、私が空海に代わって新興宗教の開祖となるはずである。このような仮説が成立する。


ファンタジーの世界である。歴史SF小説を書く事ができるほどのファンタジーであるが、史実から読み解くとこの様になる。


話を日本の儒教の話に変えると、これも仏教における音楽との関係と同じで、音楽を挿入すると日本的な儒教が成り立たなくなる。これゆえに孔子と音楽が切り離されたままとなってしまう事が私の仮説となる。


今回はここで筆を置く。


次稿に期待されたい。