古代の日本の事を知るための研究の続きを行っていく。


異分野の学者を含め、様々な人から同じ質問を多く受ける。それは何かといえば、深層心理学の学者は神話や昔話を本気で信じているのか?というものである。


確かに、深層心理学の学者は神話や昔話を参考に、様々な学説を作っていく。更に、神話や昔話を読むことが趣味となっている。人の心の問題よりも、神話や昔話を論じる方が割合的に多い事が大きな特徴となっている。


これは神話学の学者からも不思議がられており、本業に徹しろ!とお叱りを受ける時もある。しかしながら、我々の仕事はこれこそがそうであり、ここから様々なヒントを得ている。


例えば、イザナキの左目からアマテラス、右目からツキヨミ、鼻からスサノヲが生まれた。しかもイザナキは男性である。


これを言い出すと、日向三代のウガヤフキアヘズ(神武天皇の父親)は580歳まで生きた。


日向三代といえば、ニニギ命とコノハナサクヤヒメの結婚譚では、天皇が人間の寿命で生きている話がオチとなるが、神武天皇は126歳まで生きた。現代は100年時代と言われるが、それでも126歳までは困難である。


これらの事を深層心理学の学者は信じているのか?と言われても、「信じているわけがない!」としかいいようがない。


男性から子供が生まれること自体、不自然極まりない。挙げ句、目から出産とは何事や?と思っている。ニニギ命とコノハナサクヤヒメの結婚譚からすると、天皇は人間の年齢で生きるとされているが、神武天皇の直前、つまり、ウガヤフキアヘズは580歳まで生きる不自然さである。これを信じろとなっても、心を扱う専門家の私達でも、さすがに不可能である。


では、神話や昔話において何を見ているかといえば、前回では集合的無意識と書いたが、もっと正確にいえば、書き手の心の働きとなる。


目から生まれたアマテラスが実在するはずはない。桃から生れた桃太郎など、実在すれば大変なことになる。ところが、それを書いた人物は不詳ながら、実在したことは確かなことである。そして我々はその作者の心の働きを読み込むことにより、学問へ援用しているのである。


どのようにすれば男性の目から子供が生まれることになるのか。日本書紀には性行為の具体的な方法まで書いてある。それに則り、イザナキとイザナミは性行為を行う。そこで二人の子供が生まれるが、この二人は子孫としてカウントされていない。しかし、その後に生れた三神は不正な生まれ方をしながら、日本という空間を作り上げる重要な神へと成長する。


つまり、男性の目や鼻から子供を産ませた作者の心理状態を知ろうとするのが深層心理学であり、これを基礎に新しい学説を作っていくのである。神話や昔話は知の宝庫として、深層心理学者は信奉している。私達からすると、正に神なのである。


男性の目から子供が生まれることを言い換えると、異質なものだからこそ新しいものが生まれるとなる。異質なものを組み合わせ、更にそこから分離が発生すると子供がうまれる。すなわち、新製品や新しい発見が生まれる。これを現代ではイノベーションという。ユングはこれを錬金術の研究に援用し、そこから「老賢者」という概念を生んだ。こういう事である。


錬金術とは現代での化学のことである。化学の分野で新しい発見を行うには、異質なものを結びつけ、そこから必要なものを分離させる。そうするとそれは「新発見」となる。


芸術の世界でも同じである。私が音楽とお笑いを結びつけ、音楽については「おまけ」とすることにより、新しい形態のステージが出来上がる。ニューイシューというバンドにおけるステージの源流は、イザナキの出産と密接なる結びつきがある。否、戦術的に結びつけているとなろう。


古代の人はなぜこのような発想を持つにいたり、文章化に到達したのかという問題意識が起こる。自我と無意識との結合における根本原理を指すが、これが現在の深層心理学における最新の問題意識となっており、若い研究者が粉骨砕身して調査にあたっている。


最近ではイギリスの超有名大学院を修了した日本人の研究者が、日本神話を研究して話題となっている。その研究では非常に近代科学的な調査がなされているが、ロマンがまるで消え去っていると感じた。私からすると、目から生まれた子供(アマテラス)が大人へ成長し、天空の国の高天原を非暴力で支配するファンタジーだからいいのである。君はブッタかガンジーか!とツッコミを入れたりしながら読むのが面白いのである。


今回はここで筆を置く。しかし、神秘の解明は山と残されている。よって、まだ先は長いことを記しておこう。


次回に期待されたい。