神話の話を続ける。


このような混沌とした世の中になると、それこそ神頼みとなろうが、神に祈ることでは何も解決しないことは神話からよく理解できるであろう。神に対しては祈るのではなく、「思考」を捧げるのである。


松下幸之助ではないが、血の小便が出るまで考え抜いた結論を神に向かって問いかける作業が必要となる。つまり、神と「対決」する姿勢が大切となる。これが神への対応である。


易経でも同じである。考え抜いた結果についての答え合わせに使うものが易経である。易経が答えを教えてくれるものではない。


仏教ではどうか。ブッダは出家するが、では出家とは何かを考える時、そこに「捨てる」というキーワードが浮かび上がる。ブッダは自分の子供に「悪魔」という名をつけ、嫁と幼い子供を捨て、出家する。しかし、悪魔と名付け捨てられた子供は考えに考え抜き、ブッタの門人となる。ここでも、ブッタが答えを出していない。実子が自ら答えを出した結果、救いへと導かれている。


ここで日本人としてどのように考え抜き、答えを出していくか。それを新武士道という宗教を使い、個性化に導こうとするための神話の研究である。


さて、ここ最近の私は非常に忙しい。とにかく答えを要求される。しかし、プロセスを飛ばして答えを覗くことは禁断の果実を口にするのと同じ結果となる。


日本の神話や昔話における禁断の果実は何かといえば、それは「覗き」である。


覗きは古くからあり、神話ではツキヨミとスサノヲがやらかしている。この関連でいえば、山幸彦も覗きをやらかしている。山幸彦といえば神武天皇の祖父に当たる人物である。あの穏やかで温厚なアマテラスの子孫であってもやらかすのである。


昔話では「鶴の恩返」しとなろう。なんと、老夫婦がやらかす物語である。老夫婦とはユング派心理学であれば老賢者を表現する。これが日本神話の世界では天皇として表現される。そのようなえらい人々は、時としてやらかすのである。


ここから学ぶべきことは、偉い人ほどやらかす。私のようなポンコツほど慎重になる。この間で私はどのような決断を下すかといえば、プロセスを飛ばしながらも回答を述べる事であろう。しかしながら、神話とともに答えることにする。なぜなら、新武士道の思想が基礎となるからである。


ここにきて神話の話は10歩進んで15歩くらい下がるようになる。すなわち、マイナスからのスタートとなる。世の中は難しい。私の描く目次はことごとく破壊され、ついにマイナス地点からゼロ地点を目指すようになる。さて、切り口をどうするか、困ったものである。


現在は日本神話における日本の創成期についての話を進めている。ここでの私なりの仮説の発見は、古代の日本人は外向的な性格であったのではなかろうかというものであった。これは前回の論文での仮説である。ところが現在の日本人の多くは内向的であるとの診断が、心理学会や各種心理学における定説となっている。


私の仮説が正しいとすれば、どこかの時点で日本人は内向的な性格へと変化している事になる。ここが神秘であり、学者のロマンである。この分岐点を日本神話から探ることにより、日本人としての生き方、そして何より新武士道における精神と思想を検証することが可能となろう。


日本神話における日本の創成期は、話の途中で2系統に分離する。


その昔、スサノヲはイザナキに神としての仕事を命じられるが、亡き母親を思うばかり、毎日泣いてばかりいた。ついにイザナキは愛想を尽かし、スサノヲを追放する。


スサノヲは出雲へ向かう途中、アマテラスに最後の挨拶をしに高天原へ向うが、アマテラスに拒否されかける。何とか誤解を解くが、やはり多くの問題を起こし、アマテラスからも見放される。ここでアマテラスは岩に隠れ、暗黒の世界が来ることは周知の通りである。


仕方なくスサノヲはオオゲツヒメのところへ向かい、食事を懇願するが、食事を作るプロセスに立腹し、オオゲツヒメを殺害する。これが穀類起源神話となることも既に述べた。


いよいよ追い込まれたスサノヲは、逃げるように出雲へ向う。


ここでスサノヲはヤマタノヲロチを退治する。この時点で天と地との分離が生じ、天の話は天皇に通じ、地の話は庶民の話へと通じていく。


現代的に言い換えると、この時点で天皇と内閣との関係が出来上がる。更に言い換えると、ここを起点に地上の秩序を作り上げる実行部隊の話が中心となる。日本の創成期はここを分岐点にスサノヲを中心に展開されることになる。アマテラスの役割はここまでとなり、子孫が神武天皇へと繋がる話となる。話の進行はこの時点で2系統が同時進行となる。


内閣総理大臣としてのスサノヲはどのような人物であったかといえば、ユング派心理学で表現すると、「太母元型に支配された永遠の少年」であった。永遠の少年だけあって、生まれてから死ぬまで、太母元型に支配された少年であったことになる。


要は、母親の子宮の中で戦い続けた英雄がスサノヲである。これほど窮極的で内向的な性格を示す人物は、神話の中でもスサノヲのみである。ところが、日本の地上における秩序と農業を仕上げていったのはスサノヲと彼の子孫達である。スサノヲの内向的なDNAを引き継ぎ、母親の子宮の中で悪と対決し続けたのである。


母親の子宮の中でまだ生まれもしない、つまり、死の世界(スサノヲの亡き母、イザナミが暮らすあの世の世界)で悪と戦い続けたスサノヲの生き様は、正に新武士道の精神と思想に一致するではないか。


ところで、この神話の流れからすると、天皇は外向的な性格として理解することができる。この意味において、深層心理学的な解釈からすると、外向的な天皇と内向的な内閣(ここでは日本国民を含む)とが補完関係となり、天皇が日本国民の統合の象徴となる事は理にかなうのではなかろうか。


今回はここで筆を置き、次回からはこのフレームワークに従いながら、肉付けを行っていく。


次回からも期待されたい。