新渡戸稲造博士(以下、新渡戸と称す)における武士道の続きを行っていく。


新渡戸における武士道とは何かを考える時、ここに切腹の問題を克服しなければならないであろう。現在の日本人のイメージ通り、この著書には切腹が武士道の事例として挿入されている。


ところが内容が衝撃的であり、個性化のための切腹であることが述べられている。つまり、死して自己実現を果たす方法とされていたのが切腹であった。ここに武士道の真意が隠されていると思われる。


このような自殺による自己実現は新渡戸であっても考えられない事実として取り上げているわけであり、当然のごとく、現代人には理解できないことであろう。切腹を見学していた外国人ですら考えられない事実として、多くの文章で伝えていることは今更説明するまでもないであろう。


ここで問題となるのは、では、武士道は個性的ではないのかといえば、そうではなく、少なくとも切腹においては死して個性化するものと考慮すると、それは個性的であると言わざるを得ない。ただし、個性化のためのこの方法はあまりにも痛々しいものがあり、その点において批判が集中することを避けることはできないであろう。


ではなぜ個性化のために武士は自殺するに至ったのかを考える時、寿命をヒントに考察を深めてみる。


下記リンクは製薬企業のエーザイ株式会社が公開している資料である。



様々な時代の平均寿命が述べられているが、縄文時代では15歳なっている。さすがにこれでは早すぎると思ってしまうが、これが当時の常識となる。

そこから平均余命は伸びていくが、江戸時代末期で45歳となる。奈良時代で30歳前後となっているので、この時代から武士社会が終わっていこうとするまでの期間で15年しか寿命は伸びていない。

これはあくまでも平均寿命であり、長生きする人も多くいた。徳川家康は75歳まで生き、将軍家の平均寿命は51歳となっている。民衆と比べると少しばかり長く生きていたことになる。

しかし、武士といっても江戸時代の末期で考えると、平均寿命は45歳となる。そうなると、私が45歳の時を顧みると、さて、まだ若手の研究者で、実績はゼロ判定を受けていた時である。スタートラインにも立っていないことになる。

これが江戸時代の末期を想定すると、平均して45歳までに武士として個性化されていなければ質の高い教育を受けてきた意味はなくなり、武士としての勤めを果たすことができなくなってしまう。ここが大きいかと思われる。

この時期の武士の全員が45歳で突然死するのなら、最後のチャンスで44歳で個性化することも想定できようが、35歳で病気になり、体が動かなくなる武士もあろう。このように、寿命や良好な健康状態を長期間にわたり維持できない場合、死は常に目の前の話となっている。だからこそ「絶対に生きてやる!」という思いを強く持つことができる宗教を4つもミックスしたのであろう。そうして最強の武士道を作り上げたのはいいが、実際の永遠なる命はあの世の世界の話となる。

実のところ、武士道における3要素+1要素はあの世の世界の事がメインであり、現世について語ることはほとんどないのが特徴である。そこにきて当時の寿命の短さ、そして何より死は常に目の前にある状態である。

宗教によってあの世とこの世を切り離す事に成功したとして、さて、次に統合化させ自己実現を達成させようとする時、目の前の死に向かう事があってもおかしくはない。その時の死は怖くない死となっていることはいうまでもない。いわんや、40歳くらいで初めて目覚めた場合、残りの人生はあと5年。既に老人である。こうなった場合、切腹に心が向かうことはあり得るであろうと私は考えている。

総合すると、武士道とは非常に強い思いで楽天的に生きていくための方法論となる。それを達成するには、死をも辞さずとの態度を意味するものであると私は結論づける。そしてそれがかつての日本におけるエリートの生き方であったのであろう。

さて、この武士道を現代に持ち込む時、どのような意味が発生するのであろうか。今後はこれを挑むことにより、新渡戸を超えていこうと思う。

次回に期待されたい。