ユングの続きをやっていく。


前稿ではユングの博士論文について吟味した。一言付け加えるとすれば、ユングは医者である。医者がオカルトの論文を執筆し、しかも結論を出さずに締めた論文で学位を得たわけで、オイゲン・ブロイラーという博士論文の指導教官を得たユングの奇跡であろう。


余談はここまでとして、なぜ私がここを力説しているかといえば、フロイトはあくまでも臨床の現場から得た問題意識であったことに対し、ユングは最初からオカルトへの興味から心理学への道を志すことになったことである。この違いにより、フロイトはやはり現場で役立つ心理学を目指していったが、ユングは逆により深いオカルトの方向へと舵を切ることになる。


ここから軽く総合すると、一般的にはフロイトの方が強烈な印象を与えるが、実際はユングの方が強烈なことを行ってきたことになる。


フロイトは主にノイローゼやヒステリーなどの神経症に分類されるものに興味を示し、最後は覚醒剤などの薬物の研究に没頭していくことになる。


これに対しユングはオカルトを超え、離人症や多重人格などの、より重い症状へ接近することにより、研究を進めていくことになる。


とはいえ、この当時は離人症や多重人格といった症状で入院する人が多くなっていた事も事実であり、フロイトは主に内科における現場での気付きであったが、ユングはよりヘヴィーな現場を担当することにより問題意識を高めていった。ここにフロイトとユングの違いは鮮明となっていく。


離人症とはもう一人の自分が独り歩きする症状であり、これは後に元型の「影」に吸収されていく。


問題は多重人格である。よく耳にするのは二重人格であろう。しかし最近ではこれを発症する人は稀であり、よって新たな研究が進まないのも現状である。とはいえ、ユングが若かった頃は多重人格で悩む人が多く、これに対応していくための研究を行っていくことになる。


多重人格というのはその名の通り、一人の人間の中に多数の人格があることを示す。こう書いてしまうと答えを言ってしまうことになるが、とにかく、人間の中にいくつかある人格が表出化することにより問題とされる症状である。


これが何故かとユングは追求していくのである。その追求法がまた面白く、多重人格者を含め、心に問題を抱えている人の発言に注目するようになる。とにかく謎めいた発言が多く、なぜそれほどまでに謎めくことができるのかという問題意識へと高めることができたユングはやはり天才であろう。


そこでユングはその謎めいた言葉の収集を行うことになる。これは凡人では気が遠くなる作業であるが、そこで出た結論として、言葉そのものに共通点はなく、非常に個人的であるということであった。


これは実は画期的な発見である。何故なら、統計学的な視座からすると、共通点が見つからないことはないからである。サンプルがいくつか集まるところに何らかの傾向が見られることは当然である。その傾向がないとなると、人間というのは指紋と同じで、同じ人間は存在しないという結論に達するのである。


では、なぜ病という共通項を持つのかという疑問に目を向けるようになる。そこでユングが思いつたのが言語連想である。この言語連想の特徴は、一つの対象についてイメージされることを絞り出す方法である。


具体的には、海をテーマにすると、海についてイメージできることに固定し、語り尽くしてもらうのである。その際、答えるまでのリードタイムを計測することも重要である。


例えば、海といえば魚というような具合である。軸はあくまでも海となるので、魚と答えた後に魚からイメージされることを回答することはできない。よって、海という軸で、魚、塩、サンゴ、砂浜というように、あくまでも海が軸でなければならない。ここでスムーズに答えているうちは問題ないが、急に間が空くようになる。その間がその人の問題点となることをユングは発見する。そしてそのような間は心の病を抱えていない人にも存在することが分かってきだす。これをユングは「感情に色づけられた心的複合体」と称したのである。


要するにコンプレックスのことであるが、このユングなりのコンプレックスの発見が離人症、ヒステリー、多重人格などの解消へと導かれる手がかりとなっていく。


そこでの大きなキーワードが抑圧である。


次稿に期待されたい。