これまではフロイトのことを概観してきた。彼の理論についてはほとんど網羅したが、転移についてはまだ触れていない。しかしながら、転移についてはユングとフロイトと意見は一致しているので、ユングと共に転移について語っていきたい。


ここでユングに入っていきたいところであるが、フロイトについて軽いまとめを行ってからユングに入っていく。


フロイトとユングに共通することは、心理学に大きな影響を与え続けていることはもちろんのことであるが、人文科学や芸術の分野においても大きな影響を与え続けている。これは何故かといえば、発想の源泉を探るためにフロイトやユングの心理学を求める人が多いのである。


例えば、大学の文学部においてドイツ文学を専攻したとして、ニーチェの研究に勤しむことになったと仮定する。そうすると古典派とは何かであるとか、狂気とは何かなどの定義を知ることはできるが、ニーチェのように書きたいと思っても書けない自分に対し、どのように対処していくかという諸問題に達することになる。


ニーチェといえば、これは人によるかと思うが、ユング派では何と言っても『ツァラトゥストラはこう言った』であろう。


これも、私は文学博士を東京大学から授かっているので、一度は本書の書評を行ってみたいと思うものの、私の文学部門での専門は中国哲学なので、これがなかなか難しい。それこそ西欧の哲学や文学とは対立する学問分野ゆえ、比較文学評論として事を運ぶしかないなど、非常に悩んでいる。


話を戻して、文学部では既に完成されている文章の解釈法を学ぶことはできるが、憧れの著者のように書くこところまで学ぶことはできない。というのも、例えば、ニーチェは発狂する寸前で多くの作品を書いており、では、ニーチェのように書くには発狂が必要かと疑問が立ち上がる。


答えは発狂したところでニーチェのようには書けないのであるが、場合によってはニーチェを超える作品を書くことができる可能性がある。それへのヒントを与えてくれるのが深層心理学の中でもフロイト派とユング派となる。これ故に苦しむ若き文学者たちはフロイトやユングに傾倒していく傾向にあり、とりわけフロイトはユング以上に文学者からの人気は高い。


私の専門は3つあるが、その源流となるのは経営学の中の経営戦略論である。企業経営者が戦略を立案する時、何故そのような決断に至ったのかを知るためには経営学の範疇では問題の解決はできず、そこで深層心理学に助けを求めたのが私の心理学者としての道の始まりである。よって、私は本来は経営学者であるが、いつの頃からか心理学と中国哲学の分野での仕事が忙しくなり、現在では心理学者としての立場で経営学と中国哲学を論じるようになっている。


このように、画期的な発想法を獲得する方法をフロイト派とユング派は提供してくれる点において、彼らを信奉する他学問分野の人が多く、それ故に学際的研究が盛んとなり、議論の幅が広がり続けているのが現状である。


このような種をまいたのはフロイトが最初であることは間違えなく、その功績は大きい。


ちなみに、哲学分野で私のおすすめはカッシーラーである。お時間のある方は彼の著書を参照されたい。


ここまでたどり着いたところでユングに移る。


ユングは最初からフロイトの門を叩いたわけではなく、オカルトに興味があったユングは、博士論文にオカルトについてまとめ上げたことがきっかけで独自の道を進むことになる。当時の大学の中でも異色の存在であり、医師を目指しながらオカルトの専門家となった若きユングをまともに理解できる同僚は非常に少なく、孤立していた時にフロイトの論文を読み、彼に手紙を送ったところから交流が始まるのである。


とはいえ、ユングの興味はやはりオカルトにあり、生涯を通じ著書にそれが現れている。フロイトは実際の医療の現場からの問題意識であったが、ユングは最初から心の問題を題材としていたことに違いがある。それも彼らは共に医学部出身であるにもかかわらず、これほどの違いが出てくるのであるから面白い。


今回はここで筆を置き、次稿に譲る。