これまでは元型の具体的な作用を知ることにより、元型の基本的な使い方について述べてきました。元型は人の心の基本形を窮極に抽象化した概念であります。よってわかりにくいのですが、実例を読み、さらに常に元型とは何かを考えながら職場の人の行動などを観察していると元型とは何かがよく理解できてくるかと思います。基礎と基本が理解できればあとは実践なのですが、相手は無意識なのでそれが非常に困難であることは重々にしてよく理解できております。しかしながら、実践しない限り教科書から離れることはできないことも皆様方は理解できているかと思いますので、ここからは実践のための方法をお伝えし、ご自分の流派を作ることをやっていただけると幸いです。

 

少し前の稿より、自分の流派だの二つの組み合わせがあるから東洋的な笑いの方法には個性があるなど、一見すると矛盾したことばかりを述べていたかと思うのですが、実はそうではなく、二つある元型の使用方法において、型の両方を使用することが大切なのではなかろうか、国際的に我が国が真の競争を行ってゆくとき、ここを利用すればいとも簡単に欧米諸国を抜くことができるということで論じようとする故、このような矛盾ともとることができる書き方になってしまうことに、皆様方からのご理解をいただきたいのであります。

 

先ず、我が国には元型の使い方として二つに大別することが可能ではなかろうかとする仮説をだしました。一つは大阪型、もう一つは福岡型、これら二つ合わせて「日本的タイプ」と呼ぶことにしましょう。

 

我が国にはこのような傾向があるとすると、大阪の人が福岡型を演じることは非常に困難となり、逆に福岡の人が大阪型を演じることは困難となります。福岡型の地域の出身者がお笑いの勉強をするために大阪までやってきたとしても、結局のところ何もわからずに地元へ帰ってしまう現象がなくならないのはこのためであります。例え残って修行をしたとしても違和感が残るのは当たり前のことで、この実例からしてもお分かりのように、主体の得意とするもの以外で勝負することは考えない方がよいとするのが妥当であると考えられます。

 

例えば、大阪型の特徴をもう少し詳しく解説しますと、大阪型は世間をひっくり返すであるとか、影の部分をさらけ出すことにより人々の共感を得ようとする傾向のある人ですから、よって、着るものは常にパジャマでもかまわないのです。つまり、一般的な言葉で表現すると見た目よりも中身で勝負というのが大阪型の特徴であります。これにより、基本的に人前に立つ人間は、見た目にかんしてアニマ・アニムスについてはほとんど無視されることになり、ペルソナについては「中身を見ろ!」というペルソナになります。

 

これとは逆に福岡型は常にパジャマで街中を歩くなどとんでもないことであり、先ずは見た目から作り上げる型となります。よって人前に出る人の特徴として、アニマ・アニムスについては非常に意識され、よってペルソナも芸術的なものになります。

 

さて、これら二つのどちらがいいのか?となると、どちらも世界的に評価される型でありますので答えが出せないのが、逆に「正解」ではないでしょうか。ここにタイプ論としての外向的と内向的が入ってくることにより問題はさらに複雑化するのですが、ここではタイプ論の話は横に置き、元型のみで話を進めようとするとき、日本的タイプはどちらかの選択をできなくする作用をもつ、不思議なものであることが理解できます。割っているけど割り切れない、陰と陽との作用のように、全く別の作用であり、性別も異なりながら、常に同じでなければ前に進まないこの状況をどのように考えてゆくかが面白くなるところであります。

 

例えば、天才バカボンのパパが高級ブランドのスーツを着ているとすればどうなるか?を考えてみたとき、皆様方の想像を膨らませていただきたいのですが、違和感がないでしょうか。なぜならバカボンのパパはトリックスターだからです。しかしながら、007に出演時のロジャー・ムーアはどうでしょうか?高級ブランドのスーツを着用し、時に影、時にトリックスターを使い分け、どちらかというと三枚目役をエンディングには二枚目として仕立て上げる・・・さて、ではバカボンのパパはどうなるのか・・・と思うのですが、ここもなぜそうなるのかわからないのですが、西欧の人々は物事をきっちりと区分することに大きな特徴があるのですが、自分の人生となるとなぜかこの点が曖昧となり、生と死の区分が曖昧となっていたり、上述の007では役柄における元型の使い方が非常にあいまいとなっています。

 

それにしても両者は我が国においてともに成功事例であります。ここから導き出されることとして、軸を絶対にぶれないようにすれば、後はどうにでもなるということではなかろうかということです。これゆえに大阪型の人は大阪型として生きてゆくことを覚悟し、そこに大阪型としてのアニマ・アニムスを調整し組み込むなどの作業が必要となるかと思われます。

 

次稿からはこのことについて述べてゆく予定であります。ご高覧、ありがとうございました。