元型を生きることは、これは言葉にするのは簡単でありますが、その道を生きてゆくとなるとそれなりに大変なことであります。既に成功事例の物語が頭の中にいくつも入っているのなら問題はないのですが、頭の中に入っているのは元型という非常に抽象的な概念であり、またそれは考え方ではなく、自分なりの物語を作るための道具となるため、実際には元型を動かすための努力と勇気が必要となってきます。

 

先ずは大阪型から解説しますと、関西以外の地域に生まれ育った方々から大阪の良い点を聞いておりますと、裏表がないと表現される方が多いように感じます。この裏表がないというのは、心理学的に翻訳しますと「影がない」となりまして、心理学的には非常に危機的な状況となります。しかし、大阪型はあえて自分の影を表出化することにより自分を演じているわけですから、影のない人間が出来上がっているとするとこれは大成功なのであります。

 

ところが、影のない人間を演じる側の心理はどのようになっているかというと、「面白いことを言って、笑わしてやる!!」という思いでありまして、これが世間での表現を使い言い換えますと、「プレッシャー」となります。これと同じことが福岡型でもいえます。つまり、ペルソナを作るための心理的負担を考えてみますと、今日は何を着て人々に喜んでもらうか?となった時の心理的負担を考えてみると簡単なのではなかろうかと思われます。

 

本稿では上述のような苦労話をするのではなく、大阪型と福岡型の不得意とする元型が結びついたときにどのようなことになるかを考えながら、新しい元型の使い方を考えてゆく方法を見出すための試みを進めてみようと思います。

 

まず大阪型でありますが、大阪型は影とトリックスター元型の扱いを得意とする型であります。大阪型に福岡型がプラスされるとどのようになるのかを考えるのと同じことでありますが、考え方として、大阪型を基本としながら福岡型を取り入れるという方法であります。

 

大阪型は影とトリックスター元型を取り扱うことを得意とします。ここに美的センスの基となるアニマ・アニムスを取り入れ、ペルソナを考えるとどうなるかを考えてみましょう。

 

これは話が複雑となるように思えるのですが、お笑い芸人がハリウッドスターのような恰好をして舞台に出るとどうなるか?というような話であります。また、大阪の町工場の社長が作業着ではなく、ハリウッドスターのような恰好で毎日出社すると考えると、これもどのようなことになるかを考えると、とても面白いことになるのではなかろうかと思われます。

 

例えば大阪型での影の扱いを見てみますと、本当はお金をたくさん持っているにもかかわらず、人前に出る時は非常に質素な格好や、車も大衆車にのって登場する大阪の社長などは影を使った例であり、ここに関心が集まるのであります。この姿勢を崩さずに美的センスを問う意味でのアニマ・アニムスを取り入れた場合、どのようになるのかを考えてみるのは面白いのではないでしょうか?考えるだけなら失敗しても失うものは何もないですし、ここでご自身の元型を働かせてみた場合、どのようなものが出来上がるかを考えてみていただきたいのであります。

 

派手にやってみたいけど、そこは控える・・・影・・・でも、美的センス(アニマ・アニムス)を発揮させたい・・・となれば、建物であれば外は木造の古民家、中は世界最新というようなリノベーションなどはいかがでしょうか?となります。

 

これをライブのステージに活用する場合、これはあくまでも私の場合ですが、見た目は街中の普通のおっさん、ステージアクションはほとんどとらないけども、持っている楽器はビンテージ、そこにハードロック/メタルの技術を盛り込み、音はできる限り派手にする・・・このような方法を初期のころから取り入れております。

 

このように考えてみますと、日本全体で見た傾向では元型の使い方の代表例として大阪型と福岡型とに大別することが可能かと思われますが、個人が個人として生きてゆく場合、ここにこだわる必要はなく、むしろ、どこに基準を置き、その基準に合わせて自分自身を磨いてゆくかということを大阪型と福岡型から学ぶべきであると考えます。これら二つの型は非常に古い歴史の中から出てきた型でありますので、見習うべき点は多いかと思われます。そしてどこを見るかのポイントとして、軸がはっきりとしているという点を見習い、その技術を習得することではなかろうかと思われます。

 

これを自由に行うことができるようになれば自分の流派を作ることが可能となるはずであります。

 

ご高覧、ありがとうございました。