元型を生きるということで、物語を生きるわけではなく、元型を元型として感じながら、そのつど各人が必要に応じて物語を即興で作ってゆく生き方であります。これは非常に高度なテクニックを要しますが、実のところこれを簡単にやってのける地域としての源流が二つあり、一つは大阪、もう一つは福岡であります。これら二つが源流となり日本の芸能界の心模様を形成してゆくのですが、これまでこの二つは水と油のような感じでありまして、交じり合い、新結合(イノベーション)を起こすことがなかった点が残念に思うのでありまして、今後はこれらを融合して新しい何かができればより面白い芸能界となるのではなかろうかと思うのであります。

 

大阪型は主にお笑い、福岡型はそれ以外の芸能にかんするものを得意とするものでありました。これらを意図的に区分することによりお笑いの大阪というイメージが強くなったのですが、これは戦略論的には集中化戦略に該当するものでありますから決して間違っているわけではありません。しかしながら、我が国も国際化が進む中、これまで分化していたものを統合し、何か新しいことをやっていくことも急務であると思われ、そこでこのようなタイトルにて論じております。

 

大阪型と福岡型の融合とは何か?となるのですが、これも前例がないわけではなく、世界的に見ても珍しい芸風であります。ところがこれを見事にやっていた俳優がイギリスにいまして、それは故ロジャー・ムーアであります。彼の芸風の日本版は草刈正雄氏であります。

 

彼らは共に大阪型と福岡型の融合型の俳優でありますが、決定的に違うところは、ロジャー・ムーアは大阪型での色が強く、草刈氏は福岡型の色が強い俳優であります。ここが戦略上の差となるのですが、私が目指すところは源流を持たず、自分自身が源流となる、つまり、自分自身で流派を作ってゆくことにあります。よって、お笑い色が強いが、俳優としても一流であるロジャー・ムーア、一流の俳優でありながらお笑いもできてしまう草刈正雄ということではなく、これらをミックスした新結合型を目指すところに本論の特徴があります。

 

ここで大阪型と福岡型の特徴を吟味することにより、新結合させるための方法を考えてゆこうと思います。

 

先ずは大阪型から吟味してゆきますと、大阪型の主たる特徴は影とトリックスターの元型イメージの使い手の名手であることです。なぜこうなるのかですが、それは自我から元型に会いに行く型であるからです。これは既に論じておりますのでこれ以上詳しく論じませんが、これを上から下型と例え論じました。結局のところ何をいいたいのかですが、非常に意識的に元型と接触しようとする傾向が強いため、現時点での現実とあまりにもかけ離れたことをやりづらいことが大阪型の弱点であります。ところが逆に、現状という事実に基づいた判断基準を最大限に活用できる影やトリックスターにかんしては、基準が既に分かっているため、何もためらうことなく使うことが可能となるため、自我が元型を探求する型の大阪型は現状の逆を堂々と言ってのけることが可能となります。

 

これゆえに大阪型は影とトリックスターを使うことが得意なのであります。

 

これと対照的なのは福岡型となります。福岡型は下から上型となりますので、常に様々な元型が自我と出会うことになります。ところが自我は選択する力がありますから、もちろんのごとくコンプレックスに該当するような元型には触れないようになります。芸能人としてカッコよく生きるためにはどうすればよいかを考える時、影やトリックスター元型にてカッコ悪い自分を出すことは自我として到底受け入れることはできず、よって、アニマ・アニムスや老賢者、時には太母のイメージにて世間様に広く受け入れられるにはどうすればよいかを考えてゆくことになります。

 

ところが、両者ともに元型を使った方法である故、結果的にはどちらも最終的には世間に受け入れられるのでありますが、これら二つの違いは上述の二人の俳優の違いが出るほどに異なるものであります。世界的な市場での知名度からすると、大阪型の方が有利ではなかろうかと思われます。

 

このように書くと、では一斉に大阪型を目指そう!となるのが怖いところなので、ここでもう一度復習しておきますと、ロジャー・ムーアの大阪型を源流とする芸風はあくまでも大阪型を源流とするだけのことでありまして、そこに弱い部分である福岡型とが交じり合い、ハイブリッドとなっている点が特徴であります。この弱点の克服が大きな要素となり、人々の関心を寄せるのであろうと思われますが、ハイブリッドではバラバラのものを個別に使い分ける特徴がありますので、ここを乳化という考え方にならないだろうかとするのが本論の趣旨であり、また、本論における新結合の意味とします。

 

いずれにせよ、この世の中の芸能のタイプに大阪型と福岡型が実在するとすれば、大阪型の方が世界的に有利となるのではなかろうかと思われます。その意味で、世界の大阪になることは存外、簡単なことではなかろうかと思われ、あとは教育と発信力こそがそのカギを握るのではなかろうかと感じております。

 

ご高覧、ありがとうございました。