元型を生きるというのは、元型を元型のまま生きるわけではありません。しかし、実際にそのような生き方ができると、これはまた面白いことになるかもしれません。なぜなら、元型は非常に抽象的でありまして、ただ単に英雄であるとか、ただ単に老賢者でり、非常に漠然としたものであります。英雄といってもどのような英雄であるかが大切であり、漠然と英雄を生きることができればこれほど楽なことはないのでしょうけど、同時に普遍性が高すぎて逆に生きることがつらくなるのではなかろうかと思うのであります。
ここで重要な役割を果たすのが意識や自我であり、自分がいったい何者なのかを認識し、人生についての意味を与えてゆくことであります。例えば、英雄の元型が自我と出会いました。その時に「どのような英雄を目指すのか?」について自我は考えます。これに失敗すると統合失調症や自我肥大となるのですが、福岡県(以下、福岡)の人の多くは実にこの作業をうまくこなします。元型が自我と出会った時、とっさに「ロビンフッドのような英雄!」というように、とっさの対処法が非常にうまいのであります。
祭りの多さでは我が国の中でも1位か2位の福岡でありすが、福岡の祭りの中でも市民参加型の大きな祭りも多く、その祭りの場合、多くは派手な服装や衣装を着用することが祭りの実行委員会より通達されます。そして、実際にその祭りに参加する市民はそれを楽しみながら祭りに参加し、その状況はいわゆる祭りの典型として理解できる、かなり楽しい空間が出来上がるのであります。これは元型の中でもアニマ・アニムスを巧みに使うことによる例であり、それを楽しみながら行っているゆえに異空間でありながら、誰もが楽しめる祭りに仕上がるのではなかろうかと考えております。
福岡にはおしゃれな人が多く、女性は美人が多いといわれております。これについては数値的な基準がないので何らかの基準を示すことにより評価することは不可能なのですが、例えば、福岡市は美容室の「密度」が日本一であるというような話を聞いたことがあります。これも実際に調べなおさないと何ともいえないのですが、仮に本当の話であったとすると元型とうまく付き合っている福岡県民の心のあり様と一致するものであり、なぜそれほどまでに元型の道をうまく歩むことができるのかについてを調べたくなるのは研究者として自然なことではないでしょうか・・・
ここで大阪の人向けに解説いたしますと、前稿において東京VS.大阪=福岡VS.大阪の構図となることをお伝えしておきました。ではここで何が対立するのかというと、この巧みに元型を使い、元型の道を歩む福岡県人を見て「かっこつけ」とみてしまうのが大阪の人の特徴であります。もちろん、大阪の人の全てがこのように感じるわけではなく、私のように福岡県民に非常に近い感覚を持っている人もいらっしゃいます。
ではなぜこのように大阪の人が感じるかですが、その答えは簡単でありまして、「思考」という機能において、大阪府民は上から下へ、福岡県民は下から上となっており、よって最初はどうしても対立してしまうのであります。なぜこのような違いが生まれるのかは謎でありますが、思考の機能についてこのような違いがあることは私の独自の研究にてわかってきたことであります。
しかしながら、最終的に両者とも個性化の過程を歩みますので、結論は同じとなるのですが、プロセスに大きな違いがある故に対立関係となってしまうのであります。ところが、この対立があるおかげで物事の印影がよりはっきりとするものであり、もしこの対立関係がなければ我が国は全地域として普通の地域となり、特徴を出すことができないことになると考えると、日本における大阪の存在感は非常に大きなものとなります。
ではここで下から上への思考とはどのようなものかを考えてみますと、つまり、元型のみで体が動いているわけではないということです。そこにはしっかりと自我にて元型を受け止め、抽象的な元型にしっかりとした意味を主体なりにつけてゆくことであります。このプロセスにて元型を処理する場合、かなり自我が強くなければならないことは容易に想像がつくかと思われます。この状況をもう少し詳しく説明しますと、元型が自我を襲う状態を意味します。通常なら憑依という現象が起きても不思議ではないのですが、福岡県民のほとんどは憑依することなく、むしろ元型と仲良くしているわけでありまして、これはつまり、自我と元型の分離と統合が瞬時に行うことができていることを証明するものであり、心理学の領域では非常に高度なテクニックであります。
祭りで派手な格好・・・女性が男性の着物を着て、派手に踊り、最後に和太鼓を乱れ打ちし拍手喝采・・・
まさにアニムスを使った事例でありますが、「祭りだから派手な格好で参加してください!」と聞くだけでアニムスを最大限に引き出すことはなぜ可能なのか?その方法とは?を考えてゆこうと思います。
次稿では福岡県民における元型を使った実際の行動事例を紹介してゆく予定です。それは上述の祭りにおけるアニムスの使用例のような形式で、なるべく具体的に述べるようにします。
ご高覧、ありがとうございました。