上から下へ下るのは難しい・・・しかし、それができない人は真のエリートにはなれないと定義するのが今回のゴール地点であります。これは子供のころからエリート教育された人たちに限った話ではなく、下から上に上がってゆき、一旦は個性化した人にもいえることであります。もともと上の人は、そもそも元型イメージを否定しますし、子供のころは元型イメージを生きようとしていた人は大人にると(全ての人ではなく、多くの人)は元型イメージを否定するようになります。結果として入り口が上だろうが下だろうが、同じ結果となり、普通の人間の集団を形成しようとするのが人間の社会であるとあるといえます。

 

正規分布で真ん中が一番多くなる理由として、これほどわかりやすいものはないかと思われます。つまり、没個性としての普通の人がこれまでは主流となっていたのですが、音楽教育を軸に経済を変えてゆこうとするにはユング心理学で意味するところの個性ある人間を育てる必要があることになります。つまり、元型イメージを大切にし、その世界を生きることができる人となります。

 

これからの新しい教育行ってゆくうえで最も難しいのは、個性ある教員の一期生をどのように育てるかであり、さらにそれを指導する教員をどこからもってくるかであろうかと思われます。指導者を教育する指導者の話は永遠の議論となってしまう危険性があるので、またの機会にするとして、新しい教育者と指導者の指導法をどのようにするかを考えてみようと思います。

 

これまでも申し上げておりますように、入り口が上からであろうと下からであろうと、中年になる頃には多くの人は没個性の人間になっております。こうなる原因もこれまで何度か申し上げておりまして、重複しますが、元型イメージを否定するようになるからであります。ではなぜ元型イメージを否定するようになるかというと、人からバカにされる大きな要因として元型イメージの世界を生きることであることが理解できてくるからであります。中年になって英雄元型の道を堂々と生きることができる人は、冷静に考えるとほとんどいないかと思われます。英雄元型のイメージを文章化しますと・・・小さな子供と思って抱き上げてみたら、怪力の私でも重すぎると感じた。なぜなら、それは神の子だったからだ!と友人に話す中年男性がいたとして、その中年男性を皆様はどのように感じますか?また、そのような発言を思ついたとして、実際に口にすることができますか?というのが今回の問いであります。

 

個性ある教育者はこの類の話を教育者として人に教育をしていくだけの技術がなくてはなりません。元型イメージを否定するのではく、そのイメージを大切にし、命を込めるにはどのようにすればよいかを考え、それを伝えてゆく人間にならなければなりません。上述の例のように、通常、これは非常に難しく、元型イメージを元型イメージとして語るようでは世間の人は納得しません。むしろ精神的な病を抱えた人という評価になってしまいます。それを「この人は天才である!」と感じてもらうだけの技術をどのようにして身に着けるかを考えてゆかなければなりません。

 

これがユング派の考えでありますと、通常は神話や昔話を読むように勧められます。確かに、私もたくさんの神話や昔話、場合によっては日本の地域別の昔話や神話をたくさん読みましたが、それは私が研究者として時間があったからできたことでありまして、これから新しい教育者をたくさん輩出しなければならない時にそれでは無駄な時間が多くなってしまうので、別の方法を考えなけれななりません。

 

比較的時間が短縮できるであろう方法は、理系の博士の学位をもった人に頼んでみるのはどうでしょうか?というものです。理系の中でもとりわけ理学と工学の博士号を持つ人は芸術の分野に興味を持っている人が多く、また、実際に楽器の演奏がうまい人が多いのであります。その中でもポスドクでありながら優秀な人材はたくさんいるかと思われますので、まずは上記学位の取得者で、この事業に興味を持つ者に声をかけ、先ずは多くのステージ立たせ象徴となってもらい、その経験を博士論文にまとめてもらい文系の学位を取得してもらうか、文系の教育や試験を行った後に新しい意味での博士(音楽学)を認めるかであります。

 

次稿において、人材教育についてもう少し深く述べてみようと思います。ご高覧、ありがとうございました。