前稿から少しやり方を変えて無意識の話を行っております。結局のところ、無意識とは何か?という問いよりも、無意識は意識できているであるとか、そもそも人の心に触れることは全て心理学であるなどの誤った理解の方が多いことに気づき、これではこれまでの苦労も水の泡であると思い、実際例を提示することにより無意識を吟味してゆこうとする試みであります。

 

まず、なぜこのようなことを行うのかというと、無意識は意識できないから無意識なのであります。英雄を見てカッコイイと思い、老賢者をみて知恵を存分に感じるのはなぜかと考えたとき、不思議であると思いませんか?何も考えることはなく彼らを見て素晴らしい!と思うのはなぜかを考えていただきたいのです。英雄はかっこいいと思いこみ、そして暗記しなさい!!というように学校で教えられたでしょうか?また、家庭で教え込まれた記憶はありますか?このようなことがないにもかかわらず、素晴らしと思えてしまうことが、つまり、無意識なのであります。そしてこれこそが無意識からの贈り物であります。これをうまく活用することにより、芸術の世界をより充実したものにできないものか?と考えているのが私の研究者としての立場であります。

 

ここで前回の映画の事例を吟味してゆこうと思います。プリティーウーマンという映画がかつて大ヒットしまして、しかしながら、現在でもこの映画はテレビやネットにおいて話題となっている、いわゆるロングセラーの映画であります。このロングセラーの秘密は何か?という問いに対しては非常に簡単なことでありまして、それは元型をうまく使っているからであります。アニマ・アニムスとペルソナという、実に内面と外面の両方を表現する元型を使い、この時点で非常にバランスの取れた映画であることが理解できます。元型を使うだけでもかなりの威力を発揮しますが、そこにバランスなるものが加味され、ストーリーに深みが入ってくるところがポイントであります。

 

ここで大きな問題となるのは、では、元型を使えば何でもヒットし、ロングセラーとなるのかという問題であります。答えは「いいえ」でありますが、ではなぜそうなるのかを吟味するところから始めてみます。

 

この映画においてメインのキーワードとなるのがアニマ・アニムスであります。では、アニマ・アニムスとは何かといいますと、アニマは男性の中の女性性、アニムスはその逆となります。ここまでを理解することは簡単でありますが、これをある芸術作品へと援用する場合、どのように理解してゆくかでありますが、これはつまり、男性には女性性が意識できていない、そして女性は男性性を意識できていなと考えてゆきます。男性の心の中に女性性があることが十分に理解できている場合、生物学上の女性を必要としません。これは女性にとっても同じことであります。意識できていないがゆえに、意識化できるように生物学上の男性に対し、生物学上の女性を登場人物として設定します。こうすることにより、その作品を見る側は、男性は女性の登場人物、女性は男性の登場人物を見るようになります。

 

このような考え方によて男女の両方を観客として取り込むことができます。余談ですが、このように考えてみると、女性のアイドルグループには女性しかいないため、アニマを取り込むしかないところにマネジメントの難しさがあります。

 

このように、アニマとアニムスの両方を物語に設定することで、顧客層が大幅に広がるこをご理解いただけるかと思います。ここで間違ってはいけないことは、登場人物に「男と女を入れるだけのことでしょう?」という考え方です。これは大きな間違えでありまして、映画という、人に見てもらうことが前提となる作品を作る場合、どのようにして見てもらうかが大切な要素となります。よって、見る側がどのように見えるかが大切なるわけであります。そして見る側の多くの人は上述しているように、自分自身の生物学上の逆の性別を見ることになりますから、女性の登場人物が男性から見たときにどのように見えるかを考えなければなりません。つまり、「アニマ」という考え方でなければヒット作を生み出すことは難しいのではなかろうかと思われます。

 

もう少し話を深くしますと、この映画の主演男優を男性が見た場合、簡単に受け入れることができない男性の設定でなければなりません。つまり、世の多くの男性にとっての「影」であることが重要でありまして、それゆえにこの映画での設定は、誰もそう簡単にまねをすることができない、超エリートの、しかも実業家という、アメリカでも難しいアメリカンドリームを歩む男性という設定であります。女性の側はこの逆となります。

 

このように、見る側は常に登場人物の逆の性別を見ていることに着目して物語を書かなければなりません。男性の登場人物に命を吹き込むということは、つまり、女性に向けて物語を作ることであり、女性の登場人物に命を吹き込むには、男性に目を向けて物語を作ることであります。物語の中に男女の両方が出てくる場合、このクロスされた現実に着目しながら物語を書き上げてゆく必要があります。よって、物語の中にただ単に男性と女性を設定すればよいだけの話ではなく、その作品を見る側の心理を考えながら書き進めてゆかないといけないのが、作家としての腕の見せ所であります。

 

確かにアニマは女性性のことでありますが、正確には男性の中の女性性であり、しかも本人はそのことに気づいていないわけですから、その「不足している心」の隙間を埋めるための作業が必要となってきます。その具体的な作業とは、この映画の中では男女の役割を常に「反転させる」ことであります。

 

理論的にはこのようになりますが、これを実際に小説などに組み込んでゆくことは相当に至難であり、誰でもできることではないがゆえに「成功」とか「失敗」という言葉が飛び交うのであります。

 

今回はここまでとし、次回はペルソナの問題を組み込み、アニマ・アニムスとの統合を試みた議論を展開しようと考えております。

 

ご高覧、ありがとうございました。