通常、深層心理学では無意識についての怖い部分を対象として論じてゆくものでありますが、私は心理学者でありながら、同時に音楽家でもありますので、無意識から得ることができるプラスの部分を対象とすることにより、論じております。

 

心理学をやっていれば人の心がわかるのか?であるとか、人の心を操るのが心理学であるなど間違った理解が多いのもまた現実でありますが、心理学は決してそういった学問ではなく、とりわけ私の場合は、最初は臨床用に学んだのでありますが、研究を続けるうちに芸術方面への多くの活用が可能であることに気づき、それ以来、芸術分野の人々のお役に立つことはできないかという思いから、研究を続けてゆくことになります。そして、今現在も深層心理学の芸術分野への援用を行うための研究を行っております。

 

芸術分野におけるとりわけ、ユング心理学の援用の方法論でありますが、メインとなるのは他者論から繰り返しておりますが、それは、元型の研究であります。元型の研究となると、これはつまり統合失調症の研究となり、神経症の研究とはまた違ったものとなります。本来であるならば元型の研究を行うには統合失調症の研究を行ってゆくプロセスの中で学ぶものでありますが、そこまでの時間がないという方からの声が多く、また、芸術を行ってゆく際に必要な部分だけを取り出して発表してもらえないか?という声も多く、本当はこのようなやり方は間違っているのですが、市場の声に従い、芸術における元型の話を進めようと思います。

 

まず、ここで映画のストーリーを参考にしながら元型を見てみようと思います。

 

映画:『プリティウーマン』、原題は『Pretty Woman』

 

公開日:アメリカは1990年。日本は1990年

 

タイプ:(主演俳優に対し)非常に弱いいアニマ

 

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※物語の概要

 

まずはウィキペディアから引用します。

 

「ウォール街の狼」と呼ばれる実業家とコールガールが出会い、次第に惹かれ合う姿を描いたアメリカ的シンデレラストーリー。 


ビバリーヒルズでの友人のホームパーティーに招かれた実業家のエドワード・ルイスは、パーティーを抜け出さなければならなくなり友人のロータス・エスプリを借り出したものの、慣れないマニュアルシフトに手こずった上に道に迷い、ハリウッドの繁華街の路肩に車を止める。その時、売春婦のビビアン・ワードに声をかけられる。高級ホテルまでの運転を頼み、1晩300ドルで話し相手をしてくれるよう頼む。 


ペントハウスではしゃぎながらも「体は売っても唇へのキスはお断り」というビビアンに惹かれたエドは、ロサンゼルス滞在中の6日間を3000ドルで契約する。10億ドルで買収した会社を分割して売却して儲けるというエドに、ビビアンは「盗んだ車のパーツを売るのと一緒ね」と言う。 
仕事の一環として、エドの仕事の会食に同伴することになったビビアン。エドから渡されたお金で会食用のドレスを買いに行ったものの、派手かつ下品な装いのせいで高級ブティックでは入店を断られてしまう。しかし、見かねたホテルの支配人のおかげで、見事完璧なレディに変身する。テーブルマナーも学び、ディナーに臨む。 


エドの行動に危機感を感じた顧問弁護士はビビアンをスパイと疑い、エドに忠告したことからエドは「心配要らない」と、彼に彼女の素性をばらしてしまう。ビビアンの素性を知った弁護士は彼女を売春婦として蔑んだ扱いをする。傷つき契約金も受け取らないで出て行こうとするビビアンをエドは引き止め、二人は過去を慰め合う。 翌日は仕事を休み、二人でオペラや散歩を楽しむ。 


約束の6日目がやってきて、生活の援助を申し出るエドに「幼い頃から、白馬にまたがった騎士(王子様)が助けにきてくれることを夢見ていた」と、エドが自らを幸せに迎えてくれないと失意したことを間接的に告げて、ビビアンはホテルを出る。エドは顧問弁護士の反対を押し切り、造船会社との買収を友好的な業務提携に変更する。故郷に戻って高校をきちんと卒業しようと決心したビビアンがアパートを出た時、赤いバラの花束を手にしてエドが迎えに来た。 

 

出所:

 

 

 

 

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これ以上の概要は必要ないかと思いますが、20代や30代の若い人がこの文章を読むときにわからないことも多いかと思いますので、少しばかり付け足します。

 

この映画は忘れもしない、私が高校に入学した直後にこの映画を見に行きました。思春期の若者にとっては実に感動する作品であり、数日間はその余韻から抜け出すことができないほどでありました。実際にこの年の全米での興行収入が1位の映画であるようで、やはりその意味でも私達の研究に取り入れるべき映画であるかと思います。

 

さて、私がどの部分に感動したかですが、やはり女性が男性に徐々に寄り添っていく姿でありました。最初は女性は商売として男性に接近し、男性側も感情移入は全くありません。感情移入を非常に抑えようとする男性に対し、思いっきり土足で彼の心へ入っていこうとする会話の流れ、特に思い出に残るシーンは、株式市場の話をしているリチャード・ギアに対しジュリアロバーツは、「あなたは賢いのね。大学出ているの?」と尋ねた時、リチャード・ギアは「大学院卒だ」とそっけなく答えた時、ジュリアロバーツが非常に驚いた表情をして彼により一層の関心を示したシーンであります。

 

女性が土足で男性の感情に食い込んでいくシーンが非常に多いのもこの映画の特徴でありまして、ここに感動が生れる秘密があるように思うのであります。

 

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※ユング心理学的見解

 

この映画の特徴は、まず非常にアニマが少なく、人に与える印象としては「冷酷」な男性が登場人物となっているところです。男性が冷酷であると感じられるパターンとして、「暴力型」と「知識型」の二つがありますが、この場合は知識型に該当します。これに異論はないでしょう。知識型は全てのことを頭で処理し、切って捨てるというイメージが強いのですが、この映画ではそのイメージ通り、企業の運命をカネで決めていこうとする大変に冷酷な主人公の姿が描かれております。

 

一方で相手役として出てくる女性は学歴も知識もなく、しかも娼婦という、主演とは真逆のイメージの女性であります。娼婦であるので感情に押し流されない強い部分もあるのですが、逆に本当に強いアニムスがあれば主人公のような仕事をしているわけで、その意味でアニムスの力が弱い女性である設定であります。

 

ここで、お互いを引き寄せあうプラスとマイナスの要因が出そろいました。

 

こうなると話は早くなるのですが、主人公は出世するためには女性性が必要であることを知ることになります。そのきっかけはこの映画では「会食」であります。欧米諸国での会食は男性に対し女性が、女性に対し男性が同伴することが「大吉」とされる文化であります。主人公は一人でこの会食に出席しても問題はないのですが、男をあげる方法として女性が必要であることをこの会食で思い知らされ、そこで相手役の女性を活用しようと思い始めます。ここで男性の心に大きな変化、つまり女性性を求めていることへの変化を感じ取ることが可能であります。

 

これとは逆に相手役の女性は男性との株式市場での話において「男性性」の必要を思い知らされておりますので、この男性を頼りに足りないアニムスを補うべく、彼の要求に従うようになっていきます。つまり、男性の女性への転移が始まり、これが逆転移を生む結果となり、プラスのスパイラルを生む結果となります。

 

その後は紆余曲折あり、いわゆる個性化の「過程」を歩み、お互いの愛が成就し、めでたしめでたしとなります。

 

この映画の主演はやはり男性側にありますので、非常に弱いアニマに女性が女性性を注入することにより感動を生むという原理の映画であると判断します。

 

ペルソナの問題ですが、これは登場人物の設定の問題もありますが、男性はエリート実業家ですからそれなりのペルソナであります。女性は娼婦でありますから最初は娼婦としてのペルソナでありますが、会食を機会にプリンセスにふさわしいペルソナへと変化します。つまり、感動の物語は視覚にも訴える必要があるようですし、実際の問題としてペルソナに縛られている状況に感動が倍増するという効果を発見するに至ります。これゆえにアニマ・アニムス問題を考える際には、やはりペルソナの問題も同時に考えるべきだと思われます。

 

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※私の所見

 

実に懐かしい映画でありますが、同時に10代の頃の新鮮さを思い出した作品であります。私も常にあの頃のような新鮮な心を持ちたいと思っております。

 

男性らしさや女性らしさは人それぞれと思われがちですが、人それぞれなのは「過程」の話であります。私の個人的な思いとして、人には「縛り」があることに気づき、新たなる発見をした喜びと、人間の考えの範囲の狭さを思い知るに至り、複雑な気分であります。しかしながら、人には「縛り」がなければ生きてゆくことはできないと考えるとき、多くの人が考える「自由」なるものの考え方には異論が出てくるのは当然であるかと思います。

 

日本でも大ヒットしたこの映画から学ぶべきことは、自由には「縛り」が必要であることです。そこの縛りをどこから入れていくかですが、この映画が教えてくれることはペルソナであります。ではペルソナへの意識を向けるにはどうすればよいか、それは相手に「愛情」を注ぐこと、そして「自信」を与えることであることを教えてくれます。

 

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この映画ではアニマ・アニムス、そしてペルソナがキーワードとなります。この三つだけ(実質的に2つ)で感動の映画が作られているという現実であります。

 

ポップな曲で例えると、3コードの曲でミリオンヒットさせるようなものであります。

 

ではなぜこれら3つの元型でヒット作となるのかを次から吟味してゆこうと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。