前稿から他者論に入っているのですが、これもまた経営学と心理学との大きな違いを見る至る結果であります。心理学、その中でも深層心理学は主体を着眼点とし研究を進めますが、経営学は客体を着眼点とする傾向にある学問であります。経営学が今日の経営学になるまで、様々な研究が行われてきており、経営学の父ともいわれるバーナードの研究から始まり、その後、行動心理学に接近する研究結果を参考とした議論が行われたこともありました。これはホーソン実験として知られており、私が大学院生の時にメイヨーが行った有名な実験として、とりわけ、学位論文の副査の教授から進められて勉強をした記憶があります。

 

余談ですが、このころの私は既に心理学の研究を本格的に行っており、主査の教授はその姿を面白がって見ていたのですが、副査の教授陣は今から考えると、相当にあきらめムードであったのだろうと考えられます。

 

ここで一度、経営学について考えてゆかねばならないのですが、さて、経営学が研究対象とするのは何か?がやはり最大の問題であるかと思われます。経営学であるから、その対象は企業であると思われるかもしれませんが、ここが難しいく、実は曖昧なのであります。企業は組織であるという表現方法もありますから、その意味で、経営学は組織の研究であるともいえます。組織は人であるから人の研究であるとし、そこから人間関係論という、経営学の専門分野が生まれてきたりもしております。経営学と心理学とを混ぜ合わせた学者としてマズローという人もいらっしゃいまして、こうなると、もはやカオスなのであります。

 

これは日本はもちろんのこと、欧米でも同じことであり、ここが社会科学の弱点であるのではなかろうか?と思ったりもしております。これに対し、心理学の研究対象はあくまでも人の心であり、それ以外に興味を示さないのであります。

 

このような比較において論じる時、経営学の自由度は非常に高いといえるのですが、実際にはそうではなく、それゆえに難しい学問分野なのであります。ここで、経営学の専門分野の一つであるイノベーション論を参考に考えてみると、このイノベーション理論の中にはブレイクスルーという考え方があります。換言すると難問突破という考え方なのですが、では、その難問をどのようにして考えてゆくのかについて、これはまさに第三の道を考えるしかないとの結論に至ります。第三の道とは・・・そうです、まさに個性化の過程なのであり、やはりどの学問分野でも、ゴールは同じなのかもしれません。そして経営学で意味するところの難問突破とは、一休さんが「橋の真ん中」を渡った話や「虎の屏風」のような話の展開が好まれる傾向にあります。

 

ここからがまた面白くなるのですが、上述の一休さんの話はユング心理学ではトリックスター元型の物語として分類されており、こう考えると、好まれるのはむしろ当然となります。ここをうまく活用すると、他者論はトリックスター元型を研究することにより深い理解をえることができ、経営学における他者の研究の成果をユング心理学と共に研究することにより、元型そのものを取り出して研究することも可能となります。そうすると、ヒルマンを超えることができるかも・・・という野望を持つこともできるわけでありまして、面白くなるのではなかろうかと考えております。

 

ここで無意識へ話を戻します。心理学における他者には通常、二つに類型化され、一つは「ノエマ的他者」、もう一つは「ノエシス的他者」であります。これらの違いを簡単に表現すると、前者は恐怖心がでない他者、もう一つは恐怖心が出てくる他者であります。恐怖心が出ない他者とは、簡単なことで、街中を歩いているとき、正面から来る人を怖いと思いますか?という話であります。これに対し後者は、自己(他者との比較における自己)にとって身近な存在にある人に感じるものであります。例えば、対人恐怖症などはこれに該当してゆく話でありますが、自己と他者との距離が近くなることにより感じる恐怖感であります。例えば、自己に借金がある場合、他者である家族にばれないか?と感じる恐怖感などであります。これは、家族は他者であっても、自己にとっては非常に近い存在であり、その距離感をうまくとることができない場合、このような恐怖感を感じることになります。

 

企業経営において新しい市場へ進出しようとするとき、経営者は恐怖感を感じるか?また、経営者は新しい市場に対しノエマ的他者を感じているとき、従業員たちは新しい市場をノエシス的他者と感じているかもしれません。このようなとき、経営者として従業員をどのようにして背中を押すかを考えてみたとき、何かお面白い結果が出てくるかもしれません。

 

今回はここで筆をおきます。ご高覧、ありがとうございました。