人間の行動のほとんどは無意識でありますから、そうなれば無意識に逆らうことなく、仲良く付き合ってゆく方が楽であり、さらに楽しくなるのではなかろうかというのがこの連載の趣旨であります。前稿においては人によって音の聞こえ方に違いが出ている例を紹介したのでありますが、その原理的なものは非常に複雑なものがあり、因果関係がはっきりとしているわけではないことをむしろ証明するかの如くの結論となりました。

 

音楽は音として存在しませんから、それはとても自由な世界であります。よって聞く人にとって音に違いが出ることは当たり前のことで、むしろ違いが出ない方がおかしなことになってしまいます。例えば、記号の上でのドの音は、私が聞こえるドの音と他者が聞くドの音とは違っていて当然であり、しかしながら、どのくらいの差があるのかについて計測できないのが困った部分なのであります。ここが深層心理学の弱点といえばそうなのですが、正しく計測できたとすれば、では、何かが変わるかというと、わかったがゆえに面白みが半減する可能性もあり、難しい問題であります。

 

ここまでは音そのものにかんしてのことであります。ここに投影の問題が入ってきます。この投影も他者がアーティストに投げかけるものと、アーティストが他者に投げかける投影があり、アーティストはまさにこの間に入ってこれらの投影に対しての回答を準備せねばならず、このようになってきますと様々なことが非常に複雑なものとなり、これらのことを全て意識的に考えながら仕事を進めることは非常に困難となってきます。これゆえ、意識せずに、自然体においてアーティストとして仕事を進めていくことが大切なことではなかろうかと思われます。

 

ではなぜ意識的になるようなことばかりを私は書こうとするのかですが、これは何度も繰り返しており、しかしながら、ユング心理学におけるパラドックスな部分でありますが、意識化してゆかないと大きく前に進めなという事実もありまして、よって、意識と無意識とのバランスが非常に重要となるという結論へ至ります。

 

こうなりますと、例えばミュージシャンなる職業は、例えば、楽曲という単位へ話を進めますと、歌詞付きの楽曲を作るミュージシャンは曲そのものへの注目もありますが、歌詞への注目度も高まります。こうなりますと文学方面への注目度となり、ますます難しくなってきます。より正確に表現しますと、「ますます複雑になる」が正解でありましょう。

 

音に対してだけでも上述の複雑さがありますが、そこに歌詞に対する文学的コンプレックスが絡み合うことにより、大きな混乱へと導かれるのであります。しかしながら、私達は歌詞付きの音楽を聴き、それに引き込まれてゆきます。これはなぜかというと、人間はこのような理解不能になるほどに複雑な世界にもともと生きているからではないでしょうか。しかもそれが無意識であるからこそ、そこへ引き込まれていくと仮定すると、人間が二人集まれば、それだけでも複雑すぎるといえます。

 

ユングのいうところの自己の概念はこれらの複雑なものを一つにまとめたものとして認識されるのでありますが、ここではミュージシャンという主体があこがれている他者、そして、そのミュージシャンへ投影している他者との間に挟まれることにより成り立っており、それらを統合することにおける「自己」という存在であるならば、本当の神になるのではなかろうかと思われます。

 

この自己と他者との間のバランスを失ったとき、心理学的には統合失調症となり、ミュージシャンという職業に無理やり適応させるのであれば、自己の崩壊、つまり、バンドであれば解散(例えば、音楽性の方向の違いなどで原因や理由が表現される)、単独のアーティストであればマーケットの言いなりとなり、結果として売れなくなったり、より過激なパフォーマンスを行うようになり、結果として芸能界から去るというようなことになるかもしれません。

 

さて、10万人のファンを目の前にすることは、10万人からの投影を受けることになります。これは客観的に考えるとすごいことであります。もう少し深くしますと、10万人の無意識に直面することになります。そうすると、この無意識の集合体との距離をどのようにして保つのかが私としては興味のあるところで、問題を単純化しますと、例えば、私が有名なミュージシャンであると仮定すると、私が投影しているジミ・ヘンドリクスという一人の人物、それに対して目の前に10万のファンがいて、その間に私がいる。そうなると、当然のごとくバランスが悪くなります。このアンバランスさがまた芸術である!!と言ってしまえばそれまでなのですが、そんな簡単に処理できる問題ではないような気がします。

 

これが天秤であれば、明らかにどちらか一方に傾いており、しかも、水平にするにはどれほどの重りを追加してよいのかわからない状況であります。下手に重りを追加することにより、うでが支点より折れるかもしれません。

 

このように考えるだけでも楽しくなってくる無意識の問題であります。まだ続きますので、次稿をお楽しみに。

 

ご高覧、ありがとうございました。